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図書館系ジャズユニット・ライブラリ Library - a story-driven jazz unit official web site

 日記                   

 

 

 

 

2017.4.29

 

「断ち切る、から、乗り越える、へ」

 

問題を内包した人間関係があり、もう何年もその問題に、誰にも打ち明けずに、一人でコツコツと取り組んできた場合、そして、その取り組みの末に、今までの努力が全て虚しい徒労であったかのような、表面上は残念な結果が生み出された時に、まるで恩寵の様に、その結果を受け入れられる程度に、少しだけ強くなっている自分を発見することもあるらしい。

その特定の関係の対象である「相手」は全く変化しなかった(自分は相手に、自ら気付いて貰いたい大切な事があった、勿論言葉は届かなかった)、故に表面上は疑う余地のない失敗なのだが、結果、関係を断ち切るのではなく、自分が恐れや、劣等感さえ感じていた相手の「世界」がシューっと音を立てて萎んでいき、そこに僕自身のための空間が、存在していることに気がつく、魔法や、呪いのように、今まであった、相手の世界がもたらしていたフィルターがゼロになっている、もう学ぶべきものは学び、出汁をとった後の煮干しみたいに、だけどそれは「出汁をとった後の煮干し」として、ちょっとユーモラスに僕の世界に存在している。

そんな不思議なことがあるのだ、と思った。

そして魔法や呪い、と言った様に、自分と似た所があるが故に、気付かぬうちに共鳴していたのであろう、卑小感の裏返しのくだらないプライドや、能力と同化してしまう様な、劣等感の裏返しの自惚れが、気付いたらもの凄く小さくなっていた。今まで知らなかった身軽さと、より捨て身になれる真剣さ、そして他人の存在がより大切に、より大きく感じられる、全く予期していなかった認識を体験した。そして断ち切るのではなく、(恩寵の様に)乗り越える限り、そこには文字通り想像もできない様な可能性もあるのだろうと思う。あくまでも事実として。

 

 

2017.4.18

 

「ジャズと優等生コンプレックス、自身の希薄さ、について、個人的に思う、自分自身のこと」

 

僕はこの数年、幸運にも数箇所でジャムセッションホストの仕事をさせて頂くことが多いのです。仕事ですので、擦り切れそうになる事も時としてありますが、他の方と一緒に音を出し、アンサンブルの中で、何かが息づいている、事自体に、演奏技術や、知識の多少に「全く関係無く」、僕自身よりも遥かに大きい何かを感じ続けております。それに押しつぶされそうになる時もありますが、同時に自分の大切なテーマであり、励みなのです。そこには正解は無く、ただ深みがぽっかりと口を開けているだけです。

 

こんな事は、本当に言いたくないのですが、ジャズの巨匠と言われる人達には「隙だらけ」の方が沢山いました、生徒に「Someday My Prince Will Come」を歌伴のKeyでやってくれと言われて、間違えまくってたり、プログラムで一曲ファンク調の曲があったら、殆ど本番で対応できなかった別の人がいたり、いきなりポップス調の曲でソロが全く取れなかったり、、、冗談と思われるかもしれませんが、皆直接に僕が体験した、様々な「マスター達」の横顔です。

 

でもそんな事があっても、例えば日本でジャムセッションに来る、大方は優秀な、プロ、アマ、の演奏家、そして自分、に比較して、巨匠はあまり動揺しなかったのが、大変に印象的でした。日本では「誰の目にも正しいこと」や「皆が認める正解」が余りにも神格化されていて、各々の演奏家が、もっと混沌とした、自分自身を、意識的にガッチリと受け止め、耐える強さ、が少し希薄なのかもしれません。

 

いつもシュンと萎んだ気持ちになるのは、この正しさを巡る「ヒステリックな反応」です。正しい「だから」良い、正しくない「だから」悪い、、正しさのゆえに、主体である個人は瞬く間に置き去りにされて(何と言っても正しいのだから)、、正しくできないと直ぐに「あー恥ずかしい!」といって切磋琢磨してドンドン優等生になっていく、だけど「恥ずかしい自分」を「ゆっくり大切に受け止めるプロセス」の方がずっと必要なのだと僕は思います。勿論スイスアーミーナイフみたいな人は大変素晴らしいのですが、演奏者はそうでなければならない、という思考パターンの裏には安直で底の浅い、ヒステリーと、自信のない脆さ、を感じずにはいられません。切磋琢磨するのは勿論良いのですが、その過程で、正しさを巡るヒステリーから解放されて、マイペースで自分自身に向って欲しいのです。

 

信じてもらえないであろう、ついでに大それた事を付け加えさせてもらうと、市場原理主義が「全てでは無く」、人間が各々個性的に深まって行ける様な方向性に、ジャズの未来があっても良いのではないか、と思ったりもします。

 

2017.2.23

 

「散歩日記」

 

 

歩く速さに関係なく、

たとえどんなにゆっくり歩いたとしても、

人は急いで歩いてしまう。

今日は自分の骨の声を聴いた。

大地が無ければなにものも上に立つことができず、

何ものも存在できない。

自分は昔から天ばかり見て来たが、

今日、天は地の中に存在する事を感じた。

大地が無ければ天も存在できない。

人は天ばかり見たがる。

 

 

2017.2.5

 

 

「新種の螺旋」について

 

物事は(人生は、と言う意味です)その人なりのゴールに対する直線ではなくて、どちらかと言えば、螺旋状に進んで行く、螺旋状に時が流れて行く、という受け止め方、感じ方、、はたまに耳にする意見です。

僕もどちらかというと、直線や混沌、よりは、螺旋状に時間が経過していると、感じるタイプだと思います。

ただ、自分なりのバランスが取れた気になって、螺旋の「角度」を意図的に内側に曲げてしまい(笑)、新種の螺旋を発明した様な、近道をした気になってしまう、過ちを犯しやすいのだな、と思いました。

そもそも「角度」を曲げたら螺旋では無くなってしまいます。それでは本人が解った気になって、その実アンバランスになっているのだと思います。

それ程、世の中は直線好きで、最短距離を信仰したがる物なのかもしれません。

直径が同じ円運動を繰り返しているだけの様に見えて、一週目よりも二週目が、二週目よりも三週目が、徐々に深くなっていき、その深さに応じて、真上から見ると、遠近法で螺旋状に見えるのかなぁ、と思います。

時間の流れを無視すれば、直線に見える、二次元で感じれば焦ってしまう、

もう少し俯瞰で見ると円運動をしている、時間の流れを考慮すると更に彫りが深くなって螺旋状に見え始める。

そしてこんな風に簡単にまとめたがる自分の様な人間は、(まとめ、という事自体が直線だし)すぐに「新種の螺旋」の落とし穴にはまってしまいます。

書いてて何とも恥ずかしいです(こんなに長くなる筈じゃ無かった)。

 

「スターウォーズ」ではダークサイドについてみんな悪く言いますが、せめてダースベイダー卿の爪の垢でも煎じて呑みたいほどです。なんとも。

 

 

 

2017.1.23

 

「風の歌」について

 

僕は、

今できている事、

を、

もっと良くしようとして、

そもそも何が大事だったのか、

よく見失ってしまいます。

 

いつの間にか、

手段が目的にすり変わり、

未来という過去のある地点を血眼になって探し求め、

似て非なるものを「目標」だと勘違いし、

不思議なストレスに無頓着なまま、

呼吸がいつしか浅くなってます。

 

「風の歌」については、いろんな人が語っていますが、

散歩をしつつ、

風が吹くあぜ道を歩く時に、

風が一番「聴きやすい」ですw

メジロが群れをなして飛び立ちます、

トンビがゆっくりとグライドしてます、

カラスがせわしなく、だけどユーモラスに何かしてます、

これ以上スズメが似合う木は無いんじゃないか?という、庭先の葉っぱの少ない木に大量のスズメがと

まっています。

 

風が「びゅう」と吹くのをきっかけに、

はっ、と全てにきづきます、

鳥や、地面や、空や、太陽、

 

英語で、心理カウンセラーの事を俗語で「シュリンク/shrink」と言いますが、直訳すると「縮小」という意味のこの単語、「頭でっかち」を小さくしてくれるから、かもしれないな、と思いました。

 

3月11日のライブラリの事を考えつつ。

 

 

 

2016.12.29

 

「狂について補足」

 

大抵の人は止まらなければ「狂ってない」のかもしれない。

止めて見ようとすると、それは狂って見えるのかもしれない。

逆に狂人は何所か「止まってしまった」部分があるのかもしれないし、

社会の枠組みを外せば、それはそれで止まっていないのかもしれません。

 

(止まる、とはその人にとっての時間の流れ/物語、が止まる(を止める)という事だと思います)

 

 

2016.12.26

 

「この人、頭おかしいんです!」

 

我を省みても、自分はマトモだって安心してる人ほど、狂気だったりするとつくづく思うのですが、これって言葉にした途端堂々巡りするだけの、全く本当に非生産的な言葉なのを承知で、つい書いてしまいました。って書くと如何にもマトモではありませんね。

自分のキー・ジョークがあるのですが

「精神科に二人の男が行きました。先生の前でお互いを指差して言うには「この人、頭おかしいんです!」

 

 

 

2016.12.1

 

「ありがとうございました!」

 

10月1日と11月30日と二つの図書館系ジャズユニット・ライブラリのライブが皆様のおかげで無事終了しました。ますますかけがえの無いバンド、メンバーです!お忙しい中、足を運んでくださった本当に多くの皆様に心より、心の底から感謝します!

氷山の一角といいますか、音になる部分が淡い光だとするとその何十倍もの影の部分があります。そしてその影の部分が豊穣で恐ろしく危険でもあり、光の源でもあり、そして光は影の源でもあります。影を意識しようとすることは物語という成長をもたらします。

次回は3月11日四谷三丁目茶会記です。何一つ時間を含まないものはありません。「音楽でも文学でも無くて物語」なのでは無く、「音楽も文学も物語」なのでした。そして物語の90パーセントは聴くことでできています。

 

 

2016.11.18

 

「これは僕の物語以上のものではあり得ない」

 

否定的な事はあまり言いたくない、なぜなら「だったらどうなの?」という問いに自分が答えられない時にそういう事を言っていて、だったらどうなの?と自分自身で思うからだ。それでも理由が透けて見える音楽は恐らく最も興醒めするのは否めない。スタイル的に洗練されていようが、洗練されていなかろうが、クリエイティブであろうがなかろうが、立派だろうが貧相だろうが、昨日までの過去に存在理由を見つけていてそれが透けて見える時、そんなつまらない事はないと思う。表面的に魅せられたとしても後で残るうさんくささ。時が経つにつれて拡大する違和感。

とても微妙な境界線なのだと思う。はっきり割り切れる人間が(恐らく狂人を除いては)一人も居ない様に、一続きのグラデーションなのだろう。聴き手の座標も千差万別である以上、これは僕の物語以上のものではあり得ない。誰かが自分に対して似たような印象(昨日までの過去に存在理由を見つけていてそれが透けて見える)だって持つだろう。

「物語」は「物」「語り」と書くが、実は語らなくても良いのかもしれない。自分にとっては先ず聴くこと自体が「それ」だ。「物語」と言わずに「それ」と書きたいのは「語る」という字の持つ意味が強すぎるから。storyってどういう語源なんだろう?それに関しては全く無知だがstoryと言った方が聴く/語るのバランスがあまり気にならない。

何れにしても「物語」でも「story」でも余りにも立派な過去の完成品のイメージに接近し過ぎている。「聴く」という行為、「それ」だけではなく「それ」自体を意識し、殺さないように記憶する事。

そして「それ」はたんなる聴く事にとどまらず、同じところに立ちつくしていながら、足下が変化し、吸い込まれ、命はゆだねる事を要求し、ゆだねた時に物語自身の時間は聴き手である自分を呑み込む。だけど同時に「それ自体」を意識し、殺さないように記憶する事。

おそらくそれが、今の自分にできる最善の事、なすべき事なのだ。

チャーリー・ヘイデンが「Just tell your story.」と言っていた時、そういえばそこには絶えず、ある種の感情的なニュアンスが在った。彼がその物語を「感情的に」語った時に、初めてそれは「繋がった」のだ。

ジャズと文学の、ジャズとクラシックの、大きな違いではないだろうか?物語の出来栄えに対する評価はもちろん大切なのだが、物語るというリアルタイムの行為自体にジャズはこれまでにない独自の「居場所」を与えたのだと思う。それは物語という生命体に含まれていながら中々認められていなかったストレスであった。そしてその居場所は独自の吸引力を持った生命体の様に思われる。その吸引力は語り手の生命の一部として、多くを要求するが、物語という「時間を含んだ」依って汎用性に結び付きにくい原始的な物語に扉を開く。

 

 

2016.11.11

 

「自分に優しくするのは難しい」

 

自分から物語をとるとゾンビになってしまいます。あまりにも酷いので一週間以上前に飲もうと思って冷やしてあった缶ビールを久しぶりに飲んだら、ビールってこんなに美味しかったんだ!と思いました。もうちょっとでゾンビ化しそうでしたがビールに助けてもらいました。物語の速度って、怠けるのでもなく、かといって勤勉に頑張れば良いのでも無いと思いました。みんな人様には迷惑をかけない様にと躾けられてますが、自分に対しては厳しくしたり甘やかしたりはできても優しくなるのはすごく難しい様に思います。自分に対して、甘やかすのでも厳しくするのでもなく、優しく耳をすます事ができて初めて、自身が気付かないうちに語っている物語に気付く様に思います。それは訓練の様なものかもしれません。そうすれば他人の話にももう少し深く耳をすませられるのかもしれません。例えばかみさんなんかだと(ある部分、いや大部分w)最初から自分ほど病んでいないので自分自身に対して安定して優しい(甘やかすのでも厳しくするのでもなく)態度が身についていると思います。その様な人は敢えて自分の様に「物語」なんていちいちテーマにしなくても良いのかもしれませんね。まあ、あくまでも当社比なんですがw。そして僕の話なんか聴く以前にかなり正確に、予感で(笑)解っている気がします、あくまでも当社比ですけど。

 

 

2016.10.24

 

「ライブラリ、トムネコゴ、ジャムセッション、分からないままじっとする事」

 

昨日の昼間、久しぶりに吉祥寺の珈琲屋トムネコゴに行くことができた。11/30水曜日に四谷三丁目茶会記で行われる「図書館系ジャズユニット・ライブラリ」のフライヤーを置かせて貰うためでもあるが、それ以上の意味ももちろんあった。

日曜日ということもあって人でごった返している井の頭公園を抜けて店のドアを開け

「こんにちは」

と挨拶をすると

「おっ、こんにちは、蛯子さんは、いきなり来ると心臓に悪いので、今度から来るときはドアの外で口笛を吹いて下さい」

と言われる。「心臓に悪い」って言うのが、なんだか嬉しくて、同時に少しホッとした気持ちになる。

いつも座っている席に先客が居たので、モノラルのスピーカー正面のテーブル席に初めて座った。

偶然チャーリー・ヘイデンとハンク・ジョーンズのヂュオがかかっていた。

音楽の内容がここで聴くと掛け算で濃密になる。

なぜだろう。茅ヶ崎から遠く旅をしてきてたどり着いた薄暗い小部屋で、師匠の「音楽」=「物語」に全く偶然出会う、という、過程も関係しているだろうし、家だとついつい「ながら」で聴いてしまう、ということもあるだろう。だけど、そんな理由を列挙する事が馬鹿らしくなる程の体験だった。

大袈裟でも卑小化でも何でも無く、それは自分に「必然」だった。

持参した「荒野のおおかみ」は殆ど読み進められず、ただ目を閉じ、「そこにいる」。いつしかキース・ジャレットとヘイデンのデュオに替わっている。

先日10/1にほぼ1年ぶりに行った自分のバンド「ライブラリ」のライブで、準備も含めたその全過程を通じで、自分に変化があった。それは「物語を聴く力」が以前よりも少しだけ深まった、ということだと思う。

相手の話を、自分の知っている別の話に類型化して勝手に納得するのでも無く、語り手の間を自分にとって都合の良い「似て非なる物語」接ぎ木するのでも無く、全然足りないが、以前より、少しだけ待つ、そして「聴く」。

「聴いてごらん」今ここでなら伝わると思うから。そのようにしてヘイデンとジャレットのヂュオアルバム「Last Dance」を聴くことができたそれは自分には「必然」と感じられた。

でも続きがある。あくまでも「少しだけ」深まった「聴く力」は「少しだけ」の故に、同じ晩のジャムセッションのハウスベーシストとして、痛烈に試されることになった。自分は耳を傾ける、しかし相手はその「敷居を超えて物語る」。例えば、アンプにつないだギターから音は出ない、覚えたての技を試そうとしてすっとんきょうな音量で、拍をすっ飛ばして叩かれるドラムスの御客さん。その中で、だけど自分は「そこにいる」ということがなかなか出来なかった。少し怒ってる様にも見えたかもしれないが、そうではないと思う。せっかくアンサンブルという「生物」が命を得ようとしているのに「自分の技や音楽的知識」で全て解決する、という洗脳にも近い刷り込みがされていて、その現状の中で、悲しさばかり感じていたんだろう。

「物語」

それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。分からないまま、じっとして、1日を振り返り、昨夜は寝たのは5時頃だった。

分からないままじっとしていれば、良いと思う。

 

 

 

 

2016.10.6

 

「ブラフマンとヘグの埋葬」

 

小川洋子著「ブラフマンの埋葬」読了。

素晴らしい、と思っていた。

こんな素晴らしい小説は読んだ事が無い、と思い、ブラフマンがいつしかル・グイン著「ゲド戦記」のヘグと重なっていた。ヘグは「ゲド戦記」シリーズの中で1巻目にしか出てこないが、存在は全巻を通じて、最後までゲドを通じて感じられ、思い出される。

あまりにも浮かばれ無いヘグもこの「ブラフマンの埋葬」でようやくきちんとした扱いを受け、本当に良かったと、思った。

あまりにも甘い、あまりにも不注意な(うちのかみさんだったら普段は絶対しない様な)生き物に対する不注意、に怒って思わず老眼鏡を机に投げ捨てた。ふざけるな、と思わず声に出してしまった。

さっき読み終わったばかりで、いまでもふざけるな、と思ってしまう。

そこだけ物語の為に物語自体が目的になり、弱いものが押しつぶされている。

ヘグ、ブラフマン、、、誰か彼らの為にちゃんとした物語を書いて欲しい。

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