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 日記                   

2014.9.7

 

 

「新しいストレス」

 

 

前回の日記の続きです。

 

新しいストレスについて。

 

深い場所で、自分の話が通じた場合、内容に対する是非というより、何よりも先ずその聴き手の深さ自体が、自分の中にある深い場所の存在自体を肯定してくれます。

 

ずいぶんと長い道のりを経て、漸く自分はそのような経験をする事が出来ました。

 

同時に、ミュージシャンも含め、特に日本に於ける社会生活というものは、その様な深さに対する、注意も、免疫も、存在も、あまり問題にせず、言わば二の次三の次にして成り立っていると思います。

 

それを他人に説教したりするのではなくて「自分自身の問題」として、ぶつかって行く事で、「自分なりの形」に近付いて行けば、もしかしたら、少しは説得力のある何か、を伝える事が出来るのかもしれない。そんなふうに思います。このように書く事自体は、日記には丁度良いかもしれませんが、説得力は無いと思っています。

 

チャーリー・ヘイデンの言葉です:

「自分の物語りを語りなさい」

「素晴らしい人間に成れる様に、努力しなさい、良い音楽が出来る様に」

 

自分自身に対する問いです:

「自分」とは誰ですか?その「物語り」とは何ですか?

「素晴らしい人間」とはどの様な人間ですか?

 

少しずつ、手掛かりをたぐり寄せ、短くない道のりを、ここまで歩いて来ました。面白く、パラドクシカルな事に、それは、音楽家としてやっていく、という事に限定されず、それを超えて行くという、可能性も示唆します。そして同時に、自分にはベースを弾く、という行為と不可分なのです。

 

 

 

2014.9.2

 

 

「ぐだぐだ」

 

 

最近眠れません。涼しくなったのに、せっかく。精神的に、変化が起こって、それ以来、以前の様には眠れなくなってしまいました。

 

変化は決してネガティブな事ではなく、ポジティブに「なり得る」変化だと思います。具体的には話せませんが。

 

例えば、今まで誰にも聴いてもらえず、今まで誰にも理解されず、今まで誰にも通じなかった話が、通じた事があったりしたら、、、そのことを想像できるでしょうか?

 

自分は想像できませんでしたが、その様な事を体験したのです。その結果、心の中が「大騒ぎ」を初めてしまい、なので、しばらく眠れないのは仕方のない事だ、と、半ば諦めています。

 

偶然の様に、様々なことが起こります。それらが逢い働いて、意識のありようがシフトします、新しい目線、新しい価値観、新しい欲求、新しい目標、そして新しいストレス。

 

全く新しいのなら、少し嘘臭いですが、全てそこにあったもの、に対する気付き、の様な物なので、別に新しくない、といえば新しくないです。

 

昨日はライブ演奏の後、「もうベース辞めようか」位の鬱加減で、疲れ果て、久しぶりにラーメンとライスを食べました。今思うと、純粋な音楽以外にも、様々な感情が折り重なってそういう気持ちになったのですが。

 

ところが、帰宅して、2ヶ月まえの同じトリオの自分の演奏と比べると、「きっかり2ヶ月分」成長している事に気付きました。以前なら、昨夜の様に鬱になったりしなかったと思います。

 

視野が広がった状態、って事前に分かってたら、別に視野が広がった訳では無いのですね。気付かないうちに、以前は無かった、視野が広まっていて、自然と、それに伴い、新しい思考、新しい価値観、新しい欲求、新しいストレス、を持つ様になっていたのだと思いました。

 

録音、という記録媒体のお陰です。

 

自分の「意識」をも内包している、あたかも草木のような、部分があって、音楽の成長、ってそちら側に属しているのだと思います。

 

それに対して「欲」や「世間体」とか、より「社会的」であるものは、「意識」の内側に属しているのだと思います。

 

別に、だからといってオチは無く、「こうすればいい」という物もありません。要するに、視野が広がった状態って、事前には分からないのですから。

 

それで、眠れなくなったり、鬱になったりするのも、少しは仕方ないのだと思います。

 

敢えて言うなら、別の方向、を、感じられる、という感じです。

 

 

 

 

 

2014.8.27

 

 

4分の1な気がする」

 

 

例えば、FacebookTwitterで、ある意見を述べている人が居て、その意見の4分の3は「なるほど」と納得出来ても、残りの4分の1に「何かスッと入らない」部分がある場合、なしくずし的に「その通り」と賛同しても良いのですが、実はその「1/4」の部分に、色んな(諸刃の剣でもある)「宝」が隠されている様な、気がします。

3/4の納得に比べて、1/4の中に、遥かに強力な、自分にとっての否定的要素が、幾重にも隠されていたり、時間と体力を、大きく消耗させる、要素だったり、感情的、精神的に、危険要素があったり、悪いことだらけに見える様な、故に「ん?気のせい?」と感じさせる部分、それが何故「宝」なのか分からないですが、しかも一生、手に入るものかも分からない、ですが、逆に、故に、「大事な宝」は、そういう中に「隠され」ている様な「気が(なんとなく)します」。

ゆっくりと考える余裕って、もしかしたら、とうの昔(ジュラ紀)に、贅沢品になってしまったのかもしれません?????

 

 

 

2014.8.25

 

 

 

「入るときはドアがあった」

 

 

空から霊感が降って来た、と思い込んで、曲を書き始めて数日間。霊感の中には、こうこうこう、という具体的な内容が含まれてて、ふむふむ、その通りにやってみれば良いんだ、と、思った瞬間、死角から強烈な邪念の嵐。「入る時は簡単だったのに!」というのはあるロックバンドの歌詞です。典型的な自分。邪念が少しは見分けられる様になったのは、少しは良いことです。Hello 自分

 

 

 

2014.8.21

 

 

 

「すばらしく生き生きとした」

 

すばらしく生き生きとした薔薇の様な棘を持った、生き物。

それが完全に完璧な、全てに調和のとれたペースで動いていく。

 

 

 

 

2014.8.19

 

 

 

「限界」

 

全力で、耳を澄まし、全力で、それに対して返答していく、その繰り返し、なにも悪くなく、最善を尽くし、ごく僅かな、だけど納得のいく、成果を受け止める。

 

それでも、自分の中の何かが飽和していく、限界を感じる、限界はある、どうしてもこぼれてしまうもの、どうしても仕方のないもの、意図せずとも力及ばないもの、尽くす最善の中にある悪、言い訳のしようのないもの。

 

ずっとそうして来た、肯定も否定もインチキになる、限界。

 

近いうちに、そんなことを打ち明けに行く。

 

 

 

2014.7.30

 

 

 

「お伽噺」

 

 

 昨日の事です。朝、夜勤が明けて、帰宅途中、もう10年も使っているスクーターが「ぷすぷす」と白い煙を吐いて止まってしまいました。

 偶然、かみさんは、早朝から東北に出かけていて、早く帰って、猫達にご飯をあげなければ、と少々急いでいた矢先でした。

 ガソリンがだいぶ減っていたので、ガス欠かと思い、数100m先のガソリンスタンドまで、寝不足の炎天下、えっちらおっちら押して行きました。幸い、湿度が低く、そんなに苦にもならず、

「もしかしたら、こういうのも悪くないんじゃないか」

 という思いが、なぜか頭をよぎりました。

 ところがスタンドで、3リットルのガソリンを入れてもらっても、一向にスタートしません。時々細くアイドリングはするのですが、スロットルを上げると「ぷすぷす」と止まってしまいます。困り果てていると、スタンドの恰幅の良いおばちゃんが、

「バイクはバイク屋だね、かなりあるけど、この道を真直ぐ行くと、3つめの信号の先に、バイク屋があるから、修理してくれるよ、そういうことだね」

 と教えてくれました。

 自分は満タン近いガソリンが入って更に重くなったスクーターをえっちらおっちら押して、さっきよりも更に長い距離を歩いて行きました。

 すると、教えてもらった通りの場所に、シャッターの閉まったバイク屋があり、看板を見ると、あと1時間しないと開かない様でしたが、携帯で電話をかけると、2度目に出て、

「今開けます、便所に入ってました」

 との事、ちょっとヤンキー風の人で、お店においてあるバイクも、少しそんな感じでしたが、明日の夕方にはなんとかなる様で、有り難く預けて、更に歩いて、茅ヶ崎駅から、普段乗らないバスに乗って帰りました。

 だいぶ遅れて猫の世話をし、自分も掃除したり、食事を作ったりして、頭がグルグルするのですが、珈琲を淹れて、やっと、本当の朝が来たみたいに、一息入れたところへ、さっきのバイク屋さんから連絡が入りました、5時頃でした。何でも、偶然知り合いのバイク屋さんに会いに行ったところ、ぴったりの部品が見つかったので、注文の手間が省け、もう直った、との事。

「今すぐ取りに行きます」

 と言って再びバスに乗って茅ヶ崎駅に行き、改札の前を通り過ぎた時です、

「健太郎」

 と呼び止められました。見ると数年間、全く音沙汰の無かった、アメリカで同じ学校に行ってた友達が立っていました。丁度、東京での月1回の打ち合わせからの帰りだった様です。彼は、Facebookで見ても、数年前の誕生日の書き込みが色々あるだけで、最後に誰かがタグ付けした写真が、目黒で、趣味のロックドラムを叩いているものだったので、ずっと前に都内に引っ越したのかと、勝手に決めつけていましたが、ずっと茅ヶ崎に居るのだそうで、奥さんと、チワワを、アニマルシェルターから譲り受け、飼ったりして、元気にしている様でした。

 バイクを引き取った後、駅前の喫茶店で珈琲を飲みながら、久しぶりにゆっくり話して、とても楽しかったです。お互い酒を数ヶ月全く飲んでいないので、今度居酒屋に行く約束までしました。もう珈琲で、随分話したような気もしますが、良いものだと思いました。スクーターの故障もおもしろいものです。

 

 

 

2014.7.28

 

 

 

「そう思っているのが、もし、自分だけではないのなら、それに耐えている事は、無駄ではない気がします」

 

 

午前2時っていう時間帯のせいもあるけど、昼間から何となく思ってた事を、熟考しないで、書く事自体が矛盾だと知りつつ、シェアします。今ガザで起きてる事、日本で起きてる事、原発、福島、心を痛めているけど、口を結んで、じっと沈黙してる、それしか出来無い、善悪は解る、けど、何を言っても、空回ってしまう様に感じる、独りで居る時に涙が出て来る、そう思っているのが、もし、自分だけではないのなら、それに耐えている事は、無駄ではない気がします。みんな人それぞれ、感じ方が在り、繋がり方が在り、運命が在り、言葉や、表現が在り、独りで、無力で、悲しくても、気持ちや、感情は、決して無駄にならないと思うのです。もちろん、理論的に、何が、どう動けば、どのように、問題が解決する、明白な、仕組みが、最重要なのかもしれません。でも、無力感、複雑な思いを抱きつつ、生き続ける、そのようにすれば良いと言っているのでは決してありません、が、そんな気持ちを抱きつつ、生き続ける、それは決して無駄では無いと思うのです「全くの無駄かもしれない」という恐怖心も含めて、決して無駄ではありません。

 

 

 

2014.7.26

 

 

「夢7/26

 

 

かみさんと旅行している。カルバンクラインという名前のホテルに泊まる事にする。小さなキッチン付きの部屋を希望する、そこで自炊をして夕食を食べるつもり。名前に対してホテルは小さく、タバコの臭いの染み付いた、古くて、うらぶれた、アメリカで言うモーテルの少し大きめのやつみたい。濃いブルーの壁に、赤っぽいラインが一本ひかれたデザインで、内側も外側も統一されていて、格好悪い。フロントが(確か)4Fにあり、駐車場に通じている。受付の、白人の中年女性と、自分たち背後にいた、髪をオールバックにした、茶色の革ジャンの、怪しい白人男性とのやりとりで、自分たちの部屋が最後の空き部屋だった事が解る。

 

小さくて、汚い、古いエレベーターで、3Fに行ってから6F?に行く。降りると、左手に進む廊下が在るが、軽く2-3階分は降りるであろう下り坂になっており、不可解に思う。降りて行こうとすると、坂の始まる地点の右壁に、自分たちの部屋のNo.が記されたドアが在る。

 

ホッとしてドアを開けると、中は両側にいくつもの様々な部屋のNo.の付いたドアがずらっと並び、右にカーブして、先が見えなくなる迄続いており、しかも廊下の壁沿いに、大勢の、主に白人の、人達が座って、何かの順番を待っている。

 

その中を、ある部屋から、氷を貰いに、製氷機に来た、中年の男性が受付に居たオールバックの男に似ている。「こうなってるのか」と、かみさんに言う。

 

我々はその廊下を進んで行く。

 

 

 

 

2014.7.24

 

 

「雪の日の思い出」

 

 

今年の2月に茅ヶ崎にも大雪が降りました。交通機関が麻痺し、アルバイトにマイカーにチェーンを装着して行ったのを覚えています。僕は夜勤のアルバイトをしているのですが、予報に反して一日中しっかり降った雪に、帰り道タイヤをとられ、自宅からほんの数100mの地点で立往生してしまいました。おまけにチェーンも片方切れて使い物にならなくなってしまいました。

 

偶然、目の前の家の、玄関前に、大きなスコップが立てかけてあり、家主に断ってそれを拝借し、それでも30分位でしょうか、ズボンは水浸し、上半身は汗だくで、睡眠不足で、クラクラしながら、雪をかき分け、漸く、車をバックさせて、大通りに脱出しました。(その後、駅の近くに駐車し、徒歩でスコップを返すのに更に2時間近くかかりました)。

 

その、雪を掘ってる時の事が、フラッシュバックで、つい今しがた甦ってきました。玄関先のスコップを貸してくれたお爺さんの、斜め向かいに、少し新しめの、住宅がありました。しばらくすると、その中から、同年代か、少し年下、に見える夫婦が、スコップを手に、出て来ました。2人共にこにこしていて、あぁ、優しい人達がいて、手伝ってくれるのか、と、思いました。ところが、彼らは、目の前にいる自分は、透明人間かの様に、全く視界に入らないらしく、自分の家の玄関先に、雪だるまを作り始めました。

 

その時、少し、クラっとしたのを覚えています。ネクタイ姿で、びしょ濡れになりながら、脱出路を掘っている自分、と、そこから僅か3m離れた所で、長靴に手袋で、自分を完全無視しながら、楽しそうに、雪だるまを作る、自分と同年代の、夫婦。あの歳で、あんなに楽しそうに、しかも、自分を完全に透視しつつ、家の前に、雪だるま、、、3人の大人が雪を掘っている。

 

もう何ヶ月も前の事ですが、不思議とその構図が、自分の中で、リアリティを持ってるんです。程度の差こそあれ、どこかで、本質的に、自分も皆も、同じ世界の一員なんじゃないか?彼らは、本当に、「無邪気」に、楽しそうだったんです。家の前に雪だるまを作るのが、彼らにはとても大事な事の様に感じられました。ずっと前から計画してたみたいに。言葉が見当たりませんが、少し「ヒステリック」な程、その雪の朝を楽しんでいた。かけがえの無い、雪の朝、みたいな。だから、僕の車が、よりによって家の前で立往生した事は、彼らにとっても、本当に運の悪い事だった。でなければ、あそこまで徹底して無視はしないんじゃないか?それとも、「本当に」自分も、自分の車も、透明になっていたのかもしれません。

 

 

 

2014.7.21

 

 

「夢7/21

 

 

腕時計を貰う。黒い文字盤に金色のフレームの、古い、シックな、革ベルトの時計。今までの時計も、やはり古びていたが、銀、或は白、の文字盤に、銀のフレームだった様な気がする。

 

 

 

2014.7.18

 

 

「彼が支えていたもの」

 

 

本当に大きな存在だったのだな。日を負う毎に、苦しくて、家に1人でいると、楽器に触れない日々です。朝も凄く早い時間に目が覚めてしまいます。彼が支えていたもの、世界が少しでも良い場所である様に、それが、いまはもういない。

 

我々が、いかに病んでいるか、その構成員である自分自身がいかに病んでいるか、「素晴らしい人間に成る様に、努力しなさい、良い音楽が出来る様に」「『あなた』の物語りを語りなさい」。

 

歪みも込みの己を知る、その事自体が、生きる事であっても良い、歪み、が美しく思える日も来るに違いない。自分以外の人間に成れる人はいない

 

今日は夜勤明けで、このままではいけないので、練習を始める事になっています、でも、このまま休んでも良いのかもしれない、どっちでも良いでしょう。

 

自分にとって世界はもう変わってしまったのだし、生きる人生があるわけだし。

 

 

 

2014.7.12

 

 

先程パソコンをつけて、Charlie Hadenがお亡くなりになった事を知りました。「素晴らしい人間に成る様に、努力しなさい、良い音楽が演奏できる様に」「あなたの物語りを語りなさい」は自分にとって、個人的な宗教の様に、なりました。彼のレッスンから今日に至るまで、受けた恩恵は、はかり知れません。未だに、発見する事があるのです。この人生を僕は生きて行きます。

 

 

2014.7.10

 

 

「夢7/10

 

エレベーターに乗っている。上に行ってるのか下に行ってるのか分からない。

グレーの鉄板で出来た、かなりくたびれたエレベーター。

タバコ臭い。

自分のほかに3人乗っている。我々は一緒に行動している。

自分以外は皆、アメリカ人の有名な女優。

1人は初老の大女優で、他の2人の母親、という事らしい。

自分は具合が悪くなり、母親役の大女優にうつむいた頭を抱いてもらう。

それを自分の背後から2人の娘が見ている。

我々はこれからホラー映画を観に行くらしい。

あるいは「これ」がホラー映画なのかもしれない。

動かそうとしても首が動かなくなる。

 

 

 

2014.7.7

 

 

「夢7/7

 

地震がある。大地震らしい。自分はTシャツ、短パン、モンベルのサンダル、という格好。

雨が降っている。

本当は、高い建物の少ない場所に、逃げるべき、なのに、何故か逆方向の駅の方?に向かう。

高いマンションが、いくつも立ち並ぶ中を、濡れながら、歩く。

赤い、煉瓦風の、マンションなど、形も様々な物が多く、崩落してくるのでは?と、心配になる。

だが、駅に向かって、その下を歩き続ける。

赤煉瓦色と白の、結婚式用の、5階建て位の建物の前で、何と結婚式が行われている。

白人の様な背の高い、美しい人々が、ブーケ、袖のない白いドレス、タキシード、で、雨の中、その建物の外壁に設けられた、ステップを登って行く。すごい、と思う。とても嬉しそうに笑っている。地震は気にならないのだろうか?

さらに駅の方へと、歩いて行く。

水たまりで足が濡れるが、裸足にサンダルなので、気にしない。

いかにも崩落しそうな、普段は車が車が2車線で、歩道も付いた、長いトンネルに入る。電気が落ちているので、暗く、乗り捨てられた車が2−3台、通行人が、何人かいる。出口まで急ぐ。

出口の少し手前で、1人で電気を繋ぐ作業をしている消防の人?に会う。

「ご苦労様です!」と、言うと、「はーい、ご苦労さん」と返事が返って来る。

トンネルを抜け、人気の無い、駅前のビル群に、向かう。

 

 

 

2014.7.4

 

 

「昨日の日記に補足」

 

「己を知る」ということは「自分を限定する」という意味ではありません。むしろその逆です。舌足らずなのは100も承知ですが。

 

 

 

2014.7.3

 

 

「焼け石に少ない水」

 

 

寅さんが(確か)『寅次郎夕焼け小焼け』で「己を知れよ」と言ってましたが、今、特に、心から思う言葉です(映画の中では寅さん自身はスルーする設定にはなっていますがw)。ただ、自分にはこれ以上の具体的な事は言えないのです。その力が無い。のでこれは自分の力を越えた、気持ちです。

 

肝心の部分を、傷つけない様に、補足しますが、政治って、歴史的にも、勝敗、感情的、ヒステリックな盛り上がり、を、とても大きな原動力にしてきました。

 

100年前の科学技術力で、既に、壊滅的な、大量虐殺、を招いて来た部分があると思います。

現在の科学技術はその比ではありません。もっともっと神みたいな事が出来る様になっています。

 

政治に勝ち負け/盛り上がり/ヒステリックな感情/はもういらない。

 

「己を知れよ」と非力ながら、そして我ながら、希望を持ちつつ、思うのです。

 

 

2014.6.26

 

 

「藝術藝術って、もう」

 

(時々、本当は書きたく無い事なのに「日記」ならではの性質にパブロフの犬の様に反応してしまい、「記録」を義務的に記すことがあります。今日は正にそんな感じです。)

 

今日の記録:

藝術っていう言葉を使えば使う程、藝術的にはなるのかもしれませんが、肝心の何か、からはどんどん遠ざかって行くような気がします。便宜的、不完全、とても小回りの利かない、ネーミングなのかも知れません、藝術。っていうより、個人的に、そういうものに全く興味が湧かないのです。その反面、人間にはとても興味があります。

 

 

 

 

2014.6.21

 

 

「映画が(再び)奇妙に繋がった事」

 

 

昨日、DVDを2枚レンタルしました。

 

誰にでも、そういう映画ってあると思うんだけど、評判とか、全く知らないし、他人に薦められた訳でもないし、新しくも無いんだけど、「何かずっと気になってる映画」というのが、自分にも幾つか在ります。

 

そんな1つが「K-PAX 光の旅人」という映画で、主役がK.スペイシー、SF、という以外は、全くの予備知識無しで、レンタル屋で「そういえば、そんなの気になってたな」と借りました。

 

で、旧作1週間¥100なので、つい、もう一枚、これも何となく借りたのが、20年前位から、3〜4回は観ている「Fisher King」という映画です。

 

奥さんが夜勤なので、簡単に作った晩御飯を食べつつ「K-PAX 光の旅人」を見始めて、「え〜!?」と思いました。様々な要素が「Fisher King」と被りまくり。。。

 

ー 準主役がJ.ブリッジズ(知らなかった)で、主役に対する役割が似てる

ー 舞台がNY(知らなかった)

ー 精神的なトラウマが大きなテーマ(知らなかった)

ー とにかく、物語的な膨らみ方が、「Fisher King」を彷彿させる(知らなかった)

 

誤解無き様、映画は、自分はとても楽しみました。でも、この後「Fisher King」を観る気が、、少し時間をおいて観ます(笑)

 

全く何となく、予備知識無しで、借りたのに、それも「K-PAX」だけ借りてたら、こんな事にはならなかったと思います。面白いので、是非お試し下さい(笑)。

 

そういえば、数年前にも、同じ様にランダム/知識無し、で借りた、「プライベートライアン」「ガープの世界(当時は未だ原作読む前)」「あの頃ペニーレインと」が観てみたら3部作として、繋がっちゃった事があったのを、思い出しました。良くある事なのかもしれませんね(笑)。

 

 

 

2014.6.16

 

 

「自分」

 

 

どんなに素晴らしい教えも、情報も、「自分」がなければ、必ず暴走する。

 

とても良い事を聞いたから、自分もそうしよう、というのは、「自分」がなければ、既に「良い事」では無くなっている。

 

(双方に)「自分」がなければ、なにも伝わっていないに等しい。

 

「自分」がなければ、そこには「自由」もない。

 

みんな「自分」を持っている。

 

思っている以上に

 

 

 

 

2014.6.15

 

 

「産まれる」

 

 

産まれるということについて、分かる人間は誰一人いない。

 

なぜならそれはあらゆるものの変容を意味するから。

 

それは未来に開かれた行為でしかない。

 

産まれる、というのは、ただ、より意識的である、ということ。

 

意識的である者は、何かが産まれた事で、抜け殻として産まれる事もあり得る。

 

それも、産まれる、ということ。

 

産まれ続ける。

 

分かる前に産まれ続ける。

 

決して、とどまる、という事はない。

 

 

 

 

2014.6.12

 

 

「私の」

 

 

苦しみ、が、「私の」苦しみ、になるのは、決して悪い事ではない。

 

 

 

2014.6.11

 

 

「 カ ル マ ? 」

 

 

今年の8月で免許書き換えなので、この5年間近く、違反だけは起こさない様に、無事故無違反を守ってきた。が、、、

2月22日:環七で仕事の帰り道に50Kmの区間が一部ありスピード違反

5月3日:接骨院の帰りに茅ヶ崎の旧徳洲会病院まえで原チャリ一時停止違反

そして今日6月10日:茅ヶ崎で上映されていない「グランド・ブダペスト・ホテル」を観に、往復60キロの道を帰宅途中、家の近所のコンビニ(ほぼ毎日通る)で張っていたパトカーに「あれじゃ、減速だけど、一時停止にはならないねぇ、悪いけど見逃すわけにはいかないんですよ〜」と午前0時30分に違反。

「せっかくの楽しい所を、すいません」だそうです。

 

「神奈川は死亡事故ワースト2になったので我々もがんばってる」のだそう。だったら過去5年無違反の自分を捕まえるのは、あまり効果無いのでは?

思わず叫んだ。映画ほんとに素晴らしかったです、しかしこの捕まり方がシンクロニシティ???

(違反切符切られても見る価値のある映画でした!)

(後日気付いたのですが、環七はそもそもほとんど50kmの道路でした)

 

 

2014.6.10

 

 

「スカイ イズ  ザ リミット」

 

 

耐えられる様になってきた、様々な事に。

 

すると(以前は耐えられなかった様な)耐えられる様な事がやってくる。

 

アーサーC. クラークの「2010年」で、木星の重力を利用して、「ぶん」と振り回す様にして宇宙船を航行させる、という技術があったのをぼんやり思い出す。木星の重力に引っ張られつつ、ロケットの推進力を上手に加える事によって、惑星の回りを、効率良く「ぶん」と回って目的地点(ディスカバリー号)に到達する、という事だった様な。

 

真っ暗な宇宙空間を、惑星の重力に引っ張られるまま、落下し、燃え尽きる、のではなく、そこに道を見いだせるならば、重力も道となり、推進力の一部となる。技術的なのと同時に、宇宙船(レオーノフ号)を主体の比喩とすれば、今の自分には、以前は暗黒の混沌であった空間に、様々な要素を捉え、マッピングすることが、以前よりは可能に成りつつある。その分、地球から離れている。運命、ミッション、そう思いたい。

 

紙の上の計算と違って、実際の経験がどれ程本人に恐ろしいかは、映画「2010」をご覧になって頂ければと思います(映画自体は怖くありません)。

 

 

 

2014.6.1

 

 

「記念日の予兆」

 

 

上手く書けるかなぁ〜。

 

今日は心の中で、記念すべき出来事があった。

 

と、ここに記録しておきます。

 

心の外では、いつもと変わりません。

 

エンジン2発ついたプロペラ機が「ぶぅーーーーぅんーーーーーっっっっ」

 

と地表すれすれを見事に(見事にです)両翼を上下に振って、合図をしながら、飛行し、再び素晴らし

 

い青空に舞い上がって行く感じです。

 

素晴らしい飛行機は誰が操縦していたのだろう?

 

人間ではない気もします。

 

これから先、何があるかわかりません。

 

だけど、この記念日があり、それが実際の生活に影響を及ぼしたら、それは記念日になるでしょう。

 

そして、その時は、誰にも伝えないと思います。

 

ので、この「予兆」を記録しておきます。

 

 

 

2014.5.24

 

 

「夢5/24

 

WTCに旅客機が突っ込む。

どんな理由があろうと、あんな事やっちゃ駄目だったんだ、と思う。

空が異常に青く、ビルが異常に白い。

 

 

 

2014.5.22

 

 

「愛と政治」

 

政治は愛を騙りプロセスを押し付ける。

愛は最善を期待しプロセスを自分だけの秘密にする。

 

 

 

 

2014.5.20

 

「恐怖とは理屈を超えたもの」

 

以前も書いたかもしれないが、理屈を超えた恐怖を子供の時に体験した事がある。小学年か年頃の夏休み、寝坊が出来るので、両親が眠ったのを見計らって、真夜中に起き出し、懐中電灯の光で、弟と遊ぶのが密かな楽しみだった。

 

その夜はトランプをしていた。コーヒーキャンディーの小さな空き缶に仕舞ってある、親戚から貰った、アメリカの何か企業のビルが、植え込みの中、日の光を浴びて、少々ひからびた感じで、写った写真のトランプ。使用感もあり、厚紙の角が丸くくたびれている。青空もひからびているし、植え込みの深緑も、日光に照らされたビルの壁も、ボヤけてからからにひからびたその企業の宣伝用のカードで、懐中電灯の、ミラーの部分を外し、弟と「ババ抜き」を始めた。

 

始めてからすぐに、僕らは叫び声を上げた。静かにしないと親が起きて来てしまうのはわかっている。だけど、我慢できなかった。トランプのババから、明らかに何かが飛び出してきたのだ。「何か」というのは何だろう?「ババ自体」かも知れないし、当時、僕と弟は、一階の部屋の二段ベッドに寝ていたのだが、その床に敷かれたカーペット、床板や、家の土台や骨組み、を突き抜けて、地面の泥の中から、その更に下の、暗い所から、「何か」がトランプのババの絵を突き破って、「間違いなく」僕らの目の前にいて、その、「もの凄い力」で、何もかも、呑み込み、というよりも、恐怖以外の何物でも無かった。

 

とっさに自分はそのババを伏せた。呼吸を落ち着かせ、弟も自分も、全く、今起こった事が、信じられない。「ありえない」と子供なりに言い聞かせた。「こんなことはありえない」ありえないから、もう大丈夫な筈だ、と再び、そのカードをめくってみた。次の瞬間、耐えられず、再び、2人共叫んでいた。理屈が全くわからない、ただ、殺される様な恐怖。

 

次の日、その事を口にするだけで、文字通り、背筋が凍り付く程、本当に怖いので、それも全く理解できず、とても驚いた。

 

今、思う所が個人的にあり、文章にしてみたが、書きながら少し、身体が反応して、ドキドキするので、その事にも、驚いている。

 

 

2014.5.13

 

「銀河鉄道999

 

先程、洗濯をしていて、自分のパンツを干しながら、唐突に、漫画「銀河鉄道999」(著;松本零士)のワンシーンで、主人公のテツロウが、ある惑星の四畳半和室安アパートの押し入れを、恐る恐る開けると、山の様に積み上げられた使い古されたトランクスが、雪崩の様に崩れてきて、生き埋めになる。というのを思い出してしまった。

 

今思うと、あらすじ、よりも、そんな様々なシーンは、凄く面白くて、小学生だったから気付かなかったのだろうか?だいたい、別の惑星で、凍えながら、古びたラーメン屋に入って、どんぶり積み重ねる程、何杯もオカワリをして、、、凄い!小学生の時に、大げさなテーマの劇場版にすっかり洗脳されてしまったが(しかも何がテーマなのかよく分かんなかった、でもスケールは大きかったw、でも違う星でラーメン喰うのも、かなり大きなスケールですね)。

 

銀河鉄道999ぶらり途中下車withテツロウ&メーテル、みたいのを、松本零士さんが連載してくれたら、読んでみたいです。

 

 

 

2014.5.9

 

「夢5/9」

 

 

以前アメリカで世話になったギタリストを訪問する。

自分は彼の生活のお荷物となり、気まずい数日間の訪米を切り上げて帰るところ。

 

そのギタリストの忠告:

 

ー自分(彼)の伴奏はただ、サイン・コサインの繰り返し、に過ぎない。実は単純でいい加減な物だ。

 

ー頼むから自分(彼)の演奏をコピーしたりしないで欲しい、ましてやアナライズなどはしないで欲しい、とても簡単な事だ。

 

 

 

 

 

2014.5.3

 

「夢5/3:」

 

ベーリング海に旅客機が墜落する。

乗客は皆無事で、流氷の浮いた、冷たい海上で、ゴムの救命ボートに乗り移ろうとする。

ある者達は、流氷につかまったり、ある者達は、泳いだりして、それぞれが、ゴムボートに向かうが、突然、巨大なサメの背ビレが水面に現れる。

ボートから仰向けに落ちたり、泳いだり、流氷につかまったりしている人達が、次々と、もの凄く大きなサメに喰われて、血しぶきと共に、海中に引きずり込まれて行く。

不思議と彼/彼女らは、苦しそうな顔ではなく、普通にしている。

小さな流氷につかまっていた3人位が、全員犠牲になるが、慌てる様子も無く、周囲も、あまりペースを乱さず、ゴムボートに向かって行く感じに、少し違和感を覚える。

上空のヘリコプターから、ニュースカメラが映しているが、ナレーションが入り「サメの数は全部で100匹の大群だが、そのうちの1匹だけが、獰猛な巨大人喰いザメで、既に多くの人達が犠牲になっている」という。

全体が、何かの現象の例えにも感じられる。

 

 

 

2014.4.30

 

「私の鏡と私のライト」

 

The Velvet Underground に「I’ll Be Your Mirror」という曲がありますが、去年の暮れにリリースした僕のアルバム「Light/Library」が想像を遥かに超えて自分自身の鏡、だと言う事が、徐々に見えてきました。

 

正直な話、最近になって漸く、普通に近い精神状態で「Light」を聴く事が、出来る様になってきた、のですが、リリース当初に感じ、考えていたよりも、ずっと「容赦無く」意識の範疇を超えて、「ど真ん中の自分自身」が表現されている事に、気付き始めました。

 

自身が、その部分に気付き、受け入れる準備は出来ていなかった様です。

 

ので、未だに、このアルバム「Light」と、自分がどう、つきあって行くか、という、少し神経症的で、怒濤の心的プロセスを、うやむやにせずに、意識的にフォローして行くか、という事が、このアルバムの一部なのです。

 

そのプロセスは続いてきましたし、続いています。

 

それにしても、意識の暗闇を照らす「Light」というタイトルが、自身に対して、ここまで意味を持つとは、正に意識の枠外を照らされるという、プロセスそのものなのでしょう。

 

自分の十字架でもあり、アルバムでもあり、ライトでもあり、扉でもあります。

 

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