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図書館系ジャズユニット・ライブラリ Library - a story-driven jazz unit official web site

 

 

 

2013.11.4

 

「タイムマシン再」

多くの方が、事象や、気持ちを言葉にした時に、それは既にワンテンポ遅れてしまっている、事を指摘している様な気がします。例えば、話している時、気持ちと、発音の間には、言葉を選んだり、音量をコントロールしたり、それだけで様々なドラマがあると思います。逆に、言葉そのもの、というか、時間差の殆ど無い存在、を想像するに、神、とか、もっと身近()では、霊媒師の様な存在でしょうか?先祖が乗移って、話が出来る、あれです。では、仮に、時間差の無い自己の話し手、と言う物が存在すれば「自分自身の霊媒」という事も仮定できます。でも、その様な人は社会生活はとても難しいのでは、と想像します。飛躍し過ぎなのは承知ですが「今」に接近すればする程、社会性が欠如するのは、社会にはギタリストが使う様な、ディレイがかかっているからかも知れません WET 100 / DRY 0 / 0.01sec の設定で。最近はアナログではなく、デジタルディレイな気がします。でもそれが正常な社会なのは当然です。ただ、どんなに速く走れても、「今」には絶対に届かない、フラストレーションもあって、様々な記憶や感情、を組み合わせる事に拠って、0.01sec先の「今」を予感させる物、それが、詩や物語であり、芸術なのかもしれない、などと、興醒めな事を、考えました。H.G. ウエルズの「タイムマシンという言葉自体」が、その荒唐無稽な理屈を超えて(そう思われますです)一種、宗教的に広まっているのは、それが、示唆する物が以外と深かったからかもしれません。

 

 

 

2013.11.2

「5ヶ月のインターバルを頂いた、図書館系ジャズユニット・ライブラリのライブが昨夜終わりました」

 

5ヶ月のインターバルを頂いた、図書館系ジャズユニット・ライブラリのライブが昨夜終わりました。5ヶ月の間に、ずいぶんといろんな物が愉しめる様になったと実感しました。考えてみれば、たったの5ヶ月、必死で生きて来て、かろうじで、変化が確認出来るというのは、決して悪く無いです。やはり、5ヶ月の期間はギリギリ必要でした。未来の事が分る筈も無く、5ヶ月間に起る事を狙える筈もありません、が、そのずっと前から継続している事、自分探し、の、説明し難いトンネルの様な状態でもありました。それを初めて、アウトプットさせてもらった。ということなのだと思います。

僕は1999年末にアメリカから帰国直後、ポール・オースターという作家の小説に出会い、物語という物をとても大切にする様になりました。物語に導かれ、しがみついて来た、それまでの人生を、少しずつ意識的に確認していく作業のきっかけを与えてくれたのだと思います。その様にしてライブラリという活動に繋がって来たと思います。物語、のお陰で、詩人の三角みづ紀さんがバンドに参加して下さり、三角さんの御紹介で、自分が最初にオースターを読むきっかけになった作品の、翻訳家である柴田元幸さんにお会いする事ができました。12月11日にリリース予定のライブラリセカンドアルバム「Light(ライト)」に、オースターを軸に、既に大きな励みとさせて頂いている、文学と音楽に関するライナーノーツを寄稿して頂きました。12月10日には下北沢B&Bというブックストアで、柴田先生、三角みづ紀さん、自分、のトークショーを企画させて頂いております。2nd アルバム「Light」の先行販売もさせて頂きたいと思います。

ライブラリの次回ライブは未定ですが、来年2月頃、四谷喫茶茶会記でレコ発を、と考えております。

皆さんにお会い出来れば、とても嬉しいと思います。

本当に、ありがとうございます。

 

 

 

2013.10.27

「ヘヴン」

昨日、横浜新道が第三京浜に合流する地点を運転していて、運転してる自分とは別に、意識がどんどん後退して、前進する車と逆方向の背後に、暗い押し入れのような空間が開けているのを感じました。同時に車が前進しているのではなく、道が動いているかの様に感じられ、居合せた5〜6台の車が見えない何かで、間隔を保つ様に結ばれていて、誰かがその繋がりを、動く道に合わせて、滑らかに動かしている、自分も含めた車両が、シンクロしてダンスをしているみたいな感じでした。緑がかった灰色の空が美しく、ものすごく気持ちが良かった。滑っているというか、空を飛んでるというか、そのどちらとも違うのですが。動いているのに、静止している様な。同時に、事故が起きない状態、と言う物が、実はそのように保たれてる様に感じました。説明がつかない、でも今でもその感覚が甦って来ます。

 

 

 

2013.10.24

「心の中と外」

最近よく思う事があります。「神は心の中にしか居ない」とは、誰でも知っている現代日本を代表する小説家が数年前に書いた、作中の一文です。それに対して「心は以外と広いのだ」というのが僕の答えです。一体、どこからどこまでを「心」と言っているのでしょう?脳波を調べたり、身体を調べたり、「身体」の境界線は比較的分りやすいでしょう。そういえば、最近、脳内のある部分を光で刺激する事に拠って、記憶を人為的に呼び起こせる事が分って来たそうです。でもそれは記憶の話。「こころ」は夏目漱石の有名な小説ですが、比喩でも何でも無く、「心」とはそうゆうものではないでしょうか?自ずと文学性が含まれる。科学は思うに、最小単位ばかりを定義したがりますが、「心」が最小単位など関係のない、ぽっかりと宙に浮きつつ全てを包み込む存在だとしたら、定義しようとしているそのものが心だとしたら。中も外も無い、実は全て心なのだと思います。だとすれば、音楽で表現される何か、文章で表現される何か、それらイメージは全てそれ自体本物だと言う事です。作品が他と比べて優れているとか、その様な事を言っているのでは無い事は勿論ですが、それらを言い換える言葉を我々は持っていません。ので、音楽だし、文学だし、芸術なのでしょう。「神は心の中にしか居ない」のだとすれば「神はそこら中にいる」のかもしれません。今日聴いていたCDのアーティストは遠い国にいて、その時おそらく、僕がヘッドフォンで彼の音楽を聴いているなんて知りもしないでしょう。だけど音の形でディスクに閉じ込められたイメージは少しも色褪せる事無く、聴き手である僕の心以外の何物でも無いのです。僕がそのアーティストについて語る時、実は自分の心について語っているのです。音楽とは、音楽の「ようなもの」ではなく、その様な「現象」の事ではないかと思います。全てが「心」だとすれば。

 

 

 

2013.10.20

「11月1日の図書館系ジャズユニット・ライブラリのライブについて」

 

前回(今年の6月7日)のライブの後、「自分が成長しないと、このままではやって行けない」と思いました。理由は「何故か強くそう感じた」からです。それで5ヶ月という長いスパンを頂きました。この5ヶ月の間に、様々な事があり、「成長」の意味も自分の中で、大きく変容し、それ自体が「成長」です。

「上手く行けば良い」というのではなく、思い通りに行かない事や、ストレスなど、それらをごまかしたり、隠すのではなく、(言葉が見当たりませんが)開かれたままの状態で、「今現在」を生きようと思うのです。

例えば、12月11日にライブラリのセカンドアルバム『Light』がアポロサウンドから発売になります。それに先行して今回のライブで手売りを開始するつもりでしたが、諸事情により、プレスが間に合わなく、先行手売りを断念する事になりました(申し訳ありません)。そこに至るまでの、やり取りを通じての心の状態だったり、数回に渡る、猫の突然の病気による、数回の(!)計画の変更だったり、、。でもそれよりも、何よりも、この5ヶ月を振り返って大きかったのは、自分を知る、事が(より)出来た、事です。(ポピュラーな言葉ではない事は百も承知ですが)惨めで、孤独で、傷付いた自分を、以前よりも認め、受け容れられる様にはなって来たと思います。

例えばジャムセッションの様に、ジャズという保証された形に、社会性を獲得させた表現を重ねて、いっとき、問題を忘れ、パーティーをするのも、実は、簡単に言い切れない程、奥が深い交流なのですが(というのは、音にはいろんな物がそのまま出ているから)、、、

もっと説明のつかない、物語によって開かれた、より間口の大きな、ゆったりとした容器を自分は必要としていて、正直さ、成立して欲しいコミュニケーション、継続する崩壊と再生、受容、、、リピートボタン、、、それが今のライブラリに求めているものです。

 

 

 

 

2013.10.17

「日記」

 

自分はこの日記をどの程度真剣に書いているのだろうか?真剣には書いているけれども、この、一方的な、小さなチャンネルを通じて、気持ちを落ち着かせていることも確かだ。おおさまの耳はロバの耳、みたいに。だけど、他の多くの物事と同じ様に、繰り返しと安定は物事を硬直させていく。生まれた瞬間から、全て死に向かって行く。その間素晴しい事や、苦しい事があり、永遠を感じることもある。そして、それ以上に永遠な事はないだろう。永遠とはそう言う物だと思う。流れないのが、死に向かわないのが永遠なのではない、永遠な瞬間全てが永遠なのだと思う。死に向かわないのは命の無いものだけだ。永遠は、相対的な言葉だった。物事が硬直を迎える時に、人はそう気付くのかもしれない。そしてそれ自体が流れなのかもしれない。ロバの耳であり、繰り返しと硬直の一方的な記録がこの日記かもしれない。じゃあ永遠は?わからないけど、恐らく、実は、いたるところに在るのではないかと思う。でも、恐れるとそれは見えなくなるし、あまりにも恐れ知らずでは赤信号で横断したりして生きて行けない。そんな、じたばたした、恐れの記録でもあるのかもしれない。

 

 

2013.10.10

 

「竜の名前」

最近、思考に竜が登場する事が多いです。竜、と言って、先ず思うのが、アーシュラ・ル・グインの書いた「ゲド戦記」シリーズです。この壮大な物語の中で占める、竜という架空の生き物の役割は、今思うとあまりにも大きいと思います。竜に限らず、登場する魔法の世界の人々、の最大の秘密は「本当の名前」です。これを知られてしまうと、相手に対して、致命的な弱点を晒す事になるからです。逆に親友同士、信頼の証として、本当の名前を教え合ったりもします。

個人的な、竜の思い出は、昔、実家に住んでいた頃、熱を出し、二階で寝ていると、一階の仏壇から、竜が飛び出して、階段を昇って来て、寝ている自分が、呑み込まれるのか、一体化するのか、驚いて、飛び起きた事があります。

最近よく思い浮かぶイメージは、広大な砂漠に宇宙まで届く巨大な旧い石の塔があり、その周囲を、丁度DNAの構造の様に、何匹もの竜達が螺旋状に回転しつつ、宇宙まで昇ったり降りたりしている、と言う物です。そして石の塔は竜の螺旋運動に共鳴して、竜とともに、砂漠に響き渡る音を、水平に、放射状に発します。

このイメージが何を意味するのかは、全く分りませんし、分ろうとも思わないのですが、イメージでしか表現されない情報もあるのでしょう。それは、物語でしか表せない情報と似ています。

竜、という生き物はその様な世界にしか生息していませんが、その様な世界をとても良く体現している生き物だと思いました。竜の本当の名前は「物語」なのかもしれません。

 

2013.10.4

「この世向き、あの世向き」

昨日は休みで、3時間市内を歩きました。歩きながら、死にたい、と心中となえつつ。かと言って、自殺したりすることは無いと思います。何年も前、アメリカに住んでいた時に、人気テレビドラマで、FBIが超常現象を扱う、という物がありました。その1つのエピソードに、天使が出て来た事がありました。天使は、この世には属していないのですが、ドラマの中の天使達(2名いました)はどういう訳か、この世に「墜ちて」しまい、この世に属していないので、目も見えず、言葉も、人間の言葉とは違う、不思議な意味不明の呟きしか話せず、歩く事もままならない、という状態で描かれていと思います。特にドラマなので、背中に羽が在ったかの様な、傷跡、が残っていたかもしれません。話の内容は全く覚えていないのですが、印象が問題なので、改めて観たいとは思いません。どちらかというと観たくないです。

自分は今でも、そのイメージに引き寄せられます。死にたい、という口癖は、いつ始まったのか分らない位、大昔に始まり、しかも意識せずに、気付くと呟いていたのですが、徐々に、意識する様になり、同時に、死にたいという言葉の意味も変化してきました。変化は「手がかり」を通じてもたらされます、「手がかり」はイメージの形で経験する事が多いです、例えば、夢の内容だったりします。変化しつつ、依然、死にたい、という言葉で表現される何か、今では、「そういう自分として生きること」に変わって来ています。そして、歩きながら「この世向きじゃない」と思っている人は、恐らくとても多いし、他人から見れば、彼等はきっと「この世向き」にばっちり見えるんだろうな、とも思いました。

だけど、足元ではなく、地平線を見る様にして、歩きながら、耳を澄ますと、そこには立派に、死もあの世も含まれている様に感じます。死にたい自分を生きる事:文字通り受け止める時に、矛盾しているようでも在り、大袈裟なようでも在り、卑小なようでも在り、一瞬で流れてしまうような、そしてずっとそこに在る様な、感覚ですが、生きている限り - 死ぬ程ゆっくりですが - 見方が変わって来ています。そんな自分を、受け入れるのでもない、否定するのでもない、そして死ぬ程ゆっくりと変化している。3時間の放浪でした。恐らく、天使がもしいるとすれば、彼等/彼女等は、やはり、独自の時間軸、というものを持っているのでしょう。

職務質問されなくて良かったです。

 

2013.10.2

 

「空気の音」

 

ここ3日間、音楽という物を全く聴かずに過ごしております。これがたまらなく気持ちいいのです。最初は偶然で、音楽をかけながら必死にある作業をしていたのですが、気付くとCDがとっくに終わっていて、自分も疲れ切って椅子から立ち上がれず、手元にあった本を少し読み始めました。魔法が解けた様に、風の音、虫の声、遠くの宅配便のトラック、パソコンの小さなうなり、それらよりももっと小さい、聞き取れない程の、同時にもの凄くたくさんの、空気の様な音が、前後左右、空間を埋め尽くしている、状態に気付きました。そしてそれは同時に、凄く静かな流れ、だと思います。静かな空間は、静かな物が満ちあふれていました。そして、いまもそうなのですが、耳が喜ぶのがとても嬉しいです。

それまで、家に居るときも、車に乗っているときも、ほぼ休みなく、CDを聴いていました。勿論好きな音楽です。だけど、そこには、それ以外の状態、好きな音楽に囲まれて「いない状態」に対する、意識されなかった恐れ、言葉が難しいですが、音楽に対する中毒症状、に近いサイクルが含まれていました。僕は個人的に、タワレコがキャッチにしている「ノーミュージック、ノーライフ」という言葉が好きではないのですが、見方によっては、音楽が無くなった状態に対する恐れの気持ち、をよく言い表しているのかもしれません。そんな恐ろしい事にならない為に、音楽を支えましょう、CDを買いましょう、と。微妙な違いです。でも敢えて、言わせてもらうと、音楽が無くても、命は残ります。そして、音楽が音楽を作るのではなくて、命が必然的に作った物を、音楽と呼ぶ場合もあるのでしょう。

音楽を作る、というと「作る」ことに重きが置かれる事が多いですし、実際、とても大切な事だと思っています。だけど、静寂、それも作られたのではない、小さな空気の音に満ちた空間、を自分の耳がこんなにも喜んでいる、という事実、は、何度でも、好きなだけ、そして殆ど何でも、(CDやデータで)再生可能な、中毒症状に近い、状態に、身を任せていた自分を見直すきっかけとなりました。

そして、面白い事に、自動車の運転中も、音楽を聴くのを止めたら、愛車「いたち号」のエンジン音に耳が行く様になり、心無しか、燃費が伸びました。それよりも「いたち号」が喜んでいる感じが嬉しいです。

勿論また、CDを聴き始めると思いますが、良い物で(あればある程?)も、中毒になることはあるし、中毒症状では、たとえ良い物だとしても、全ての価値を、少しでも、引き下げる事になるのですね。

「マニア」に始まり、データを沢山蓄積してたり、ある分野に特化して中毒である事が、専門家である事のイコールであるかの様な感じに、どこか違和感を感じていたのですが、何となく、分ってきました。そうです、この日記は個人的な日記なのです。音楽が無くなっても、間違いなく、命は残ります。そして個人的には、中毒というフィルターを何回も(何回も)通過して音楽がどんどん効かなくなった抗生剤みたいになって来ている様に感じられる中、命に耳を澄ます事が、音楽が喜ぶ事なのでは、という気がします。

 

 

2013.9.28

 

「夢:9月26日」

 

何かのセミナーで旅館に泊まっている。古いコンクリートの4〜5階建ての旅館。東北かもしれない。同じ部屋に5〜6人の男女の参加者で泊まっている。旅館というか、共同宿泊所というか、奥さんも同行している。奥さんと、友人は朝食を食べに一階に降りていくが、自分は身体が動かないので少し遅れて行く、と伝える。漸く身体が動く様になって食堂の方に降りて行くと、地元のオーケストラが宿泊客の為に一階で演奏している。しかし会場に納まり切れずに、オーケストラの各パートが一階の様々な場所にバラバラに配置されている。指揮者はいるのだろうが壁に遮られ見えない。食堂は剥き出しのベニヤ板の壁に作られた、3つの木のドアのどれか、なのだが、一番奥のドアの前には、ホルン奏者達がいる。ここではホルンパートしか聴こえず、それだけでは、とても音楽には聴こえないが、彼等は熟練した演奏家達で、全体の音が分らないまま、見えない(彼等には見えるのかも)指揮者に会わせて、完璧にパートを吹きこなす。時々管をスライドさせつつ、ピッチを正確に合わせる。3つあるドアの2番目のドアは食堂では無かった。一番手前のドアを開けると、奥さんと、他の人達が食事を終えて、出て来るところだった。朝食の時間はもう終わりで、食べる物は何も無い、と言われる。自分としては、せめてコーヒーだけでも飲みたかった。

 

 

 

2013.9.24

 

「夢の続き」

 

そして鷹は飛び立つ。鷹の視界というものを僕は持った事が無かった。どこまでも続く砂漠の上を、高く高く高度をあげる、世界が丸く見える、左へ、左へと旋回を始める、とても大きく、左へと円を描き始める、空間が現れ、定義は一瞬で意味をなさなくなる、鷹は何も知らない、気流があるから舞い上がるのか、舞い上がるから気流があるのか、一体誰が決めるのだろう?左へ、左へと、大きく旋回をする、何も知らない、砂漠は空でもあった。砂漠は空を支えていた。そして、鷹がそれを定義する。

 

 

 

2013.9.23

 

「夢:9/20」

 

アメリカにいる、砂漠、小高い丘になっていて、荒れた地に、草が少し生えている程度。鷹を腕にとめている。鷹は慣れている。丘の下まで見下ろせる場所に、ブランコの様なベンチがある。小さな子供が座っている、3歳位か?右側から黒い狼が現れる、とても大きい、目が赤い、子供は丸呑みにされてしまいそう。狼の気をそらす為に、鷹にあげる為の肉の皿を丘の下に投げる、狼は脚がとても速い、あっという間に、肉を取って戻って来てしまう。

 

 

2013.9.16

 

 

「ルフトハンザ」

 

詩人の三角みづ紀さんの第5詩集「隣人のいない部屋」刊行記念朗読会。

ページをめくる音として、コントラバスで参加しました。

面白かったです。

 

自分の言葉で言えば、ルフトハンザ。

快適な空の旅は、乗った事無いし、これからも無い気がしますが、やはりルフトハンザなのかな?

頂いたルフトハンザの絵はがき、最近ジェットエンジンがすっかり好きになってしまった自分には宗教的にたまらない物がありました。

そしてロードムービーでした。

自分の話、最近、砂漠にいて、空の色がしきりに変化し「あなたのせいよ!」という声が聞こえる夢をよく見るのですが、そこに「ある」ものは「ある」のでしょう。

「隣人のいない部屋」、空があり、景色があり、色があり、始めに言葉がありました。そして最後に音、僕の音は始めの言葉の前に「あり」ます。

アメリカみたいな砂漠にいて、テレビのチャンネルがちゃがちゃ回すみたいに、空の色がパッパッと変化します。「あなたのせいよ!」誰が言っているんだろう?実は今日詩を聴き、スライドを観、聞き耳を立てつつ、ベースを弾きながらずっと背後に、そのエコーが「あり」ました。

否定するのも自由ですが肯定するのも自由です。

ある、生きる、時間が過ぎる、そして始めに、詩がありました。

 

 

 

2013.9.15

 

「隣人のいない部屋」

 

明日は、詩人の三角みづ紀さんの第5詩集「隣人のいない部屋」刊行記念朗読会です。

僕は「ページをめくる音」として、コントラバスで演奏させて頂く予定です。

詩集はすばらしく、自分も備えて休んでいます。

台風が来ています。

僕は、よく雨男と言われ、自分も呆れる事が今まで多々ありました。今回の台風のタイミング、悪い冗談としか言いようが無い気がします。さすがに、考えました。で、ここで、はっきりと宣言しておきます『僕のせいではありません』、それだけは、はっきりと分ります。

詩集は素晴しくて、備えて休んでおります。

 

 

2013.9.12

 

「日常」

 

しばらく前、車で東京方面に行く際、必ず通るバイパスの道端で、黒猫の子供が死んでいた。運転中、一番キツいのが、撥ねらた動物の脇を通過することだ。いたたまれなく、怒りもあり、思わず泣いた。その次の日も、同じ場所を通過すると、まだ、そこにあった、その時も、可哀想で涙が出て来た。それから一週間程経ち、再び同じ道をおそるおそる通ると、まだ、同じ場所に放置されている。酷い、と思い、通過する際、スピードを落として、よく見ると、それは黒い角材だった。今まで、黒い角材に泣いたり、憤ったり、少し叫んだりしてた。角材で良かった。

 

 

2013.9.10

 

「僕の家族」

 

他にもやる事がいっぱいあるのに、何故か僕の家族の事を書きたくなりました。ブログ更新久しぶりですし、「ギルバート・グレイプ」という映画を借りたからかもしれません。本当の家族の事、に関して、他の人と解り合う、のは不可能として、会話を成立させるだけでも大変な事です。ほとんど、成立した事がありません。あんまり成立しないので、しばらくして、さすがの自分も、「あ、このトピックって、ソーシャル・タブーなんだ」と気付きました。時々、自分が父親が何十年も昔に始めたジョークの続きみたいに感じます。僕が始めたのではありません、彼が始めたのです、その、殆ど消えかけた残り、を生きてるみたいに感じる事があります。とてもつまらないジョークなので、誰も笑いません。それに、良識ある、いい歳の大人は、家族の事なんかそうそう話す物ではないのです。この世界で、一つだけ、方法があるかもしれません。「物語」です。それは、誘導ミサイルみたいに「聴く耳」を探し当て、自ずから届くからです。しかし、証明する事は誰も出来ません。おそらく。そして、物語だって、誰でも語れる訳では無いのです。おまけに、聴く耳がなければ物語は存在しません。レッドブックに載ってます;P125「物語」。

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