kentaro ebiko's web site

図書館系ジャズユニット・ライブラリ Library - a story-driven jazz unit official web site

 

2013.8.31

 

「パンデミックでは無いですが」

 

5匹いる飼い猫(家猫)のうち、まず吾郎(6歳、黒猫、オス)が具合悪くなり、主に、もの凄い目やにで、目が開かない程になり、元気も無く、獣医さんから3種類の目薬、を投与し続ける事で、ほぼ直って来たと思ったら、アジー(8歳、雉虎、メス)、M(仮名、15歳、白っぽいタビー、メス)、ツヨシ(15歳、ほぼ白のタビー、オス)が同時に具合悪くなり、今までに無い状況です。アジー、M、は吾郎の様に目が開かない程腫れて(だけど二匹とも片目が中心的に腫れている)元気が無い感じ、ツヨシは口の中が歯槽膿漏か?気持ち悪いらしく、ご飯を上手く食べないし、水も飲まないので、缶のえさを水に溶いて奥さんがあげたら、美味しそうに食べてホッとしてます。食い意地の張りすぎている、待つ事のパワーを心得ている、ある意味一番賢い、だけど前足が歳取って弱って来ている、No1.キャットのK(仮名、15歳、白タビー、メス)のみ、不死身で、食欲に目を引きつらせてます。欲が強すぎて、具合悪くなる隙が無いのでしょうか?

注:本人の個人情報保護の為、一部仮名にしてあります

 

2013.8.22

 

「ライブのレポート」

 

帰りがけに、主催者の方から、ライブレポート書いてくれない?と言われたので、で、早めに書きたいのと、どうすればわからないので、とりあえず此処に書きます。

渋谷のメアリージェーンにて、space one 企画「形と言葉と音と」キュレーター:藤井郷子三角みづ紀(詩、声、朗読)井谷享志(打楽器)船越弘(陶器展示)

というイベントでした。

1時間の切れ目の無い演奏の間、何故か実家の親の事を思い浮かべていました。両親は隣の駅に住んでいますが一年のうちに大体3回位しか会いません。僕は先月45歳になったばかりで、いい大人ですが、どうしても気軽に会いに行けないのです。父親ももう高齢だし、よくいろいろ考えます。これだけでもここに書きすぎたくらいですが、それ以上、ダイレクトに書く事はもうできません。

何故かそのような事、その様な深度の事象、ばかり浮かび、全然冷静ではなく、ああ、生きてるだけなんだ、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、と、繰り返しているうちに、生きてるって、なんて細かくて、複雑で、そして生きてるんだろう、と、ゲラゲラ笑っていました。生きてる、というとき、それは死も明確に含み、丸くなってゴロゴロ回転するのです!様々な感情があり、ポジティブな物だけでなく、恥、卑小感、死、など、自分の中のネガティブな気持ち、が丸くなって回転する事で、助かる。生きてるんだな、と感じました。自然に空気の濃度が変わり、ふっ、と腕時計を見た時と、パフォーマンスの終了が同時でした。「来て本当に良かった」というのが正直な感想です。船越さんの陶器のおかげで、開演前から相当場の空気が柔らかくなっていました。そして、演奏後、自然な流れで、自分的になんだか浮いてると思った小皿を買いました。¥1850、柿の種を容れたいと思います。弟にも会いたくなりました。じっとしていたって、世界は動くのです、それは動いている事になるのです。

 

 

2013.8.20

 

「ネガティブな愚痴」

 

ポジティブな愚痴、と言う物があるのかは知りませんが、BBC Radio 2が制作したピンク・フロイドのdark side of the moonリリース40年記念ラジオドラマのteaserをフェイスブックで観たら、はまってしまい、同時に、ピンクフロイド=プログレ=楽器で何か難しい事やるロックバンド、というふうに、したり顔で分類されるのって、例えば、人の話なんか全然聴く耳無いくせに「お前の事はもう(30秒で)解った、それで俺はね、、、、」っていうのに等しいです。はい、少々、疲れているので、休む為の試みとしてネガティブな愚痴をだらだらと、書いています。愚痴をいうのも大変です、挙げ句の果てに、ブログで愚痴です、というこれも愚痴です。冒頭のteaserはとてもツボで、何回も観て、もう、これで良いじゃん、十分だよ、と思いました。特にジェットエンジンの頭部から火花が散るシーンなんかは、ホント、自分の脳みそのヒダから、タイヤを燃やしたみたいな、真っ黒い煙が、モクモク立ちこめる感覚に見舞われる事があるんですが、それにとても近くて、思わずスクリーンに向かって叫びそうになりましたよ。うなされます。そういえば昔、、まあ、、いいや、、、ははは、、何なんだ、この世界?

teaser4週間で消えるそうです

http://www.bbc.co.uk/programmes/p01fg16f

 

 

2013.8.18

 

「現代病」

 

今年は昨年よりも進んでいるべきであり、来月は今月よりも進んでいるべきだ、今週は先週よりも何かか前進しているべきだし、明日は今日よりも充実させよう。なぜならば、その気になって努力し、耳を澄まし、目を開けば、偽物ではない、本当の、深く、知恵のある、良いもの、がいくらでも得られる世界に自分たちは生きているから。分刻みで、自分を測る。良い物に埋もれて、加速する。

情報は叱ってくれない。最近自分は叱られて、それは、一生のうちで始めてちゃんと叱ってもらったように思います。同時に自分は誰も叱れません。それこそ焦ってはダメだと思います。別に叱りたい訳では無く、つくづく変な人間だと、この年齢で思えるようになりつつあります。

 

 

2013.8.14

 

「道」

 

道は、解る為にあるのではなく、歩く為にある。

歩く事で、始めて解ってくる事があるのかもしれない。

そしてそれは、解るという事は無い、というパラドックスかもしれない。

解ろうと思って解る事、なんて、檻の中で考えている様な物かもしれない。

なぜそんなに解るという事に、こだわるのか?

歩いて、傷付くのがもう本当に、嫌なのだ。

でも、解るという事は無いに等しい、

解ったと、思い込んで、人を傷つける。

せめて、ゆっくり歩きます。

自分の為に、書きました。

 

 

2013.8.13

 

「焦らずに楽しんだ」

 

思考が、傾向として、自分で読み返しても、

とかくややこしくなりがちなので、分析的な内省はさておき、

徐々に焦る事が少なくなってきました。

ゆっくりと、楽しみながら、やりたい事をやっています。

それ程ヒステリックではないし、それ程依存もしてません。

眠くなったら躊躇無く昼寝します。

今までは何かに取り憑かれていたのでしょうか?

そのことを、自分なりにまとめたい気もしますが、

めんどくさいので、まあ、いいや、と言う感じです。

 

 

2013.8.12

 

「焦りそうです」

 

ホームレスのおじさんに「あせっちゃダメだ」と言われて、焦らないように書いています。

幾分かでも、焦らないようになると、

それまで平面だと認識されていた物事が集合体であることが始めて見えて来たり、

平面だという認識のもと、軽くあしらっていた事柄が、

とても重要になってきます。

「とても重要」という言い方自体、ある物は平面、ある物はより立体、

という2項比較の産物な感じがするので、

ニュアンスが間違っています(笑)。

優先順位自体が輪郭を失い始める、そんな感じです。

そんな中で、自分を見失ったり、しがちですが、

より大切な物に向かって、より大切でないものを濾過していくのが、

少なくとも二人以上の同意によって、そう思い込むのが、

人の社会なので、

焦らない、という簡単な一言が、

おもったより立体的な意味があるんだな、と

解った気になって、

また、

焦りそうです。

 

 

2013.8.8

 

「あせっちゃダメだ」

 

ホームレスのおじさんに

「いいかい、ゆっくりしていくのが大切なんだ。あせっちゃダメだ。あせると、

危険な街になるよ、よく覚えておくんだな。」

と言われた。

 

 

2013.8.7

 

「増大恐怖症」

圧倒的な数の増大、圧倒的な情報量、これらが自分の恐怖の源かもしれない、とよく思う。結局、幼少期に見た、髪の毛で覆い尽くされた世界の夢に戻って行く(2013.5.31)。カオスが、自分で思っているよりも苦手です。情報の内容よりも、圧倒的、な事自体に圧倒されて、それだけで密かに参ってしまう。これって、特有の感覚、としてずっと前からいろんな人に歌われて来ていることかもしれません:

http://www.youtube.com/watch?v=n2ZOhWAaGVs

 

「休め」と忠告されて以来、休んでいますが、休む事とは、どれだけ今まで自分が傷付いているか、自覚する事のような気がします。そしてそれを自分の物語にして行く。

 

2013.7.30

 

「時間が余る」

 

思いの外、色々はかどり、時間が余りました。時間が余ったので「未来世紀ブラジル」をツタヤに借りに行こうか迷っているうちに、一人でインプロを始めてしまい、気付いたら借りに行くのが面倒になってました。少しお酒飲んで、さっさと寝ようと思ったとたん、お酒飲むのも面倒臭く思えて来ました。いい感じです。そうだ、余ってるスイカ食べよう、と思ったらもう歯を磨いた後でした。いい感じです。水飲んで寝ます。

 

 

2013.7.27

 

「夢:7月24日か25日」

夜勤のバイト先にいる。オフィスには自分と2番目に偉い上司がいる。時刻は夜。他には誰もいない。突然上司が部屋の隅を見つめながら、「あぁ、始まっちゃった!」と言う。実際には無い場所に背の高い事務用ロッカーがあり、その扉が勝手にバタバタ開閉する。ロッカーの中(自分の立ち位置からは斜めで見えない)からドンドン!と壁を叩く音がする。

(7月9日の食器戸棚の夢と同系列)

 

 

2013.7.25

 

「ツヨシとゴロー」

 

普段は中々会えない友達夫婦と久しぶりに家で食事をしようと、スケジュール調整を何ヶ月も前からして、いよいよ明日、という日になって5匹いる飼い猫のうち、ツヨシとゴローがいきなり食事を食べず、ろくに動けず、の原因不明の体調になり、すべてキャンセルになりました。実は友達の家でも猫を飼っていて、しばらく前に大怪我をしてしまい、やはり、残して家に来るのが気になっていた様です。しかし、猫達と友達夫婦にも失礼な話ですが、なんだか不思議と腑に落ちる休日でした。

誤解の無い様、言っておきますが、とても食事会は楽しみにしていたのです。でも、「猫って不思議だな」と思わざるを得ない、独特の時間の流れを感じました。ツヨシは病院行くだけで辛くて、大変でしたが、食事量が少ない他は、いつも通りになってきました。若い暴れん坊ゴローは、一日目はそれ程ひどくなかったのに、病院から帰宅後、徐々にシンドそうになり、次の日病院にまた行ったら、空いてたのに受付がカルテ出し忘れ、もの凄く待たされ、猫も人も更に具合悪くなりそうになり、帰宅後は普段入らない洗濯機の中でうずくまってましたが、ササミを刻んだら食べるようになり、今朝は目力が戻って来た様です。

結局うちの奥さんと二人で、ツヨシとゴローの事を心配しつつ、病院で疲れつつ、静かな二日間を過ごしました。来る筈だった友人ともメールで「猫以外考えられない展開なので、次回は猫に聴かれないように暗号を使ってプランニングしましょう、きっと無駄ですが」というやりとりに何故か納得。

考え過ぎかもしれませんが、休むという事に関しても、響くものがある感じです。

ゆっくりと、元気になって欲しいと思います。

 

 

2013.7.18

 

「ピンク フロイドと自分」

 

休むという、有意義な苦行、の最中なので、日記も更新していなかったのですが、Facebook上で、二日連続でピンクフロイド関係の告知に吸い寄せられてしまい、その事をここで書くぐらいなら良いではないか、と思いました。思えば高校一年になりたての時期に、映画THE WALLA.パーカー監督)のビデオをいきなり直感で購入して、昼間でも幕がかかったみたいに一段階暗い世界、に現実に包まれてしまい、とても希有な時期を体験したきっかけになったバンドです。自分は固有名詞もどんどん忘れてしまうし、評論家でもコレクターでも何でも無く、ジャンルを分類したり、にはあまり興味が無いのですが、このバンドのおかげで、個人的に一時期、皆既日食みたいな日々を過ごした事があるのです。それってやはり、個人的にはとても大切な思い出です。今ではdark side of the moonしかCDもっていないのですが、当時はお金がないので、貸しレコード屋で借りて、テープに録音して大事に聴いていました。改めて個人的に大事なんだな、と、いつからか、過去の自分を軽くみていた自分に気付かされます。

2013.7.9

 

「夢/休む様に怒られる」

 

夢7/9:家で現実の様に寝ている。台所から奥さんの呼ぶ声。行くと、見知らぬ茶箪笥があり、「この中に赤い物を入れると叫ぶ」と言う。あり得ないと思い、タバスコの瓶を中に入れてみると音がしない。何でも無いじゃないか、と思った瞬間、ひそひそ声で2〜3人の話し声が一瞬聴こえる。奥さんはそれには気付かないので、「しーっ」と言って、聞き耳をたてる。

 

・・・

最近、ある方から、殆ど怒られる様にして「やすみなさい」と言われた。お前は、自分の事なんか、全然わかっていないんだ、と。意外でもあったし、とにかく、そうか、と休む事にした。休んで、すぐに、気付いて、本当にわかってないんだ、と思った、確かに休んでなかったと思う。少し恥ずかしい程。自分を、意識しているよりもずっと、粗末にしていた。具体的には、まさに何もしない、心の中でも何もしない、休みになる様な事を「雑に」するのは全然休みでは無いのだと、気付いた。一体そんなに忙しくして、何になりたいのか?生きる事が、いつからそんなに恐くなったのか?罪悪感はどこから来るのか?何をやっても良いが、休む為には、先ず「休む」事が必要だと思った。かなり意図的に、丁寧に「休む」と決意しないと、「休みらしいこと」を雑にこなしがちなのかもしれない。

昨日、3歳にもう少しの姪と遊んだ。一体あの子がどんなすごい事をしたから、あんなにすごいと言うのか?元気で、生きているって言うのは、思ってたよりもずっとすごい事だった。

子供に比べると、ものすごく絡まった世界で大人は生きているのかもしれない。殆ど怒られる様にして、言われて、初めて「休む」事を、自分が如何に、なめていたか、気付かされた。「機械の様に充電すれば良い」というイメージ自体が貧しいのだ。世界の様々な宗教では「安息日」が決められている。この話は特定の宗教とは全く関係ないが、「休む」事は宗教性にも繋がると思う。それらをひっくるめて、自分は、なめて、いたのかもしれない。「休む」という事自体に、頭を垂れてみてはいかがでしょう。

 

2013.7.5

 

「遠況報告」

 

夜勤明けで、作業開始前の目覚まし、も兼ねて日記書いています。

90年代の終わり頃から、自分を知る手がかりとして、文学作品以外にも、参考になる様な本を読んできました。その内容にあまり触れないのは、あくまでも個人的な文脈で話したく、それがデータ化される事を避ける為です。ちなみに特別な本では無く、どこででも入手出来る、学問の種類です。専門家の方も沢山いらっしゃいます。

15年近く、関係の本を芋づる式に読んで行くうちに、1年前に、自分にとって、その中でも特に参考になる本、に行き当たりました。読む度に理解が深まり、結局12回連続して読みました。スポンジみたいに心が栄養と手がかりを求めるのです。

12回も読むと、かなり理解した、飽和感が出て来て、自ずと、さらに先に進みたくなりました。様々な事が重なり、ネットで検索すると、昔はあまり紹介されていなかった、さらに先、に進む為の訳書や和書がこの10年で一気に出版されていました。時の流れと、時代の要請、の様な物を感じます。財布に響きましたが、4冊注文しました。

紹介している著者の方も、一世代若くなって、それは、具体的にどのような感じがするかと言うと、より切迫した今の世界の空気がにじみ出ている、という事です。

自分の中でもやはり切迫していて、疲れても、とにかく必要なので、読み続けています。これはこの数日間の事ですが。

何の本の事を言ってるのか、データをお伝えすることが出来ません。秘密ではなく、腑に落ちない、資格が無い、と思ってしまうからです。そして、やはり自分にとって意味を持つ個人的な事、なので、「遠況報告」になります。

それよりも、この事で、自分が少しでも進むべき方向に進めれば。長い間求めて来て、大きな手がかりに出会えたのと、自分が年齢を重ねつつあるのと、関係もある様に思われます。自分自身と身の回りの人達に対して、良い事になればと、思うからです。

 

 

2013.7.2

 

「こねこ」

 

きぃちゃんは相変わらず姿を見せない。今日は奥さんも休みで、家で掃除したり、布団干したり、練習したり、読書したり。昼前に2匹の子猫を連れた三毛猫のお母さんがご飯を食べに来た。自分が食べる前に、子供達に先に、食べさせている。奥さんが喜んで、窓から観察していた。自分は、練習終わったら左手が腱鞘炎っぽくなってしまった。夜中に黒猫吾郎が網戸の破れめから脱走する。今まで無かったパターンなので、きぃちゃんの事もあり、焦る。懐中電灯もって探したら車の下に居た。奥さんが引っ張りだして事無きを得る。アホだけど吾郎はかわいい。

 

 

2013.7.1

 

「きぃちゃん」

 

 

ひょんななり行きで、外猫に朝晩ご飯をあげる事になった。すこしややこしいのだが、元々あげるつもりではなかった別の猫が朝晩必ず、玄関先で「きぃ〜、きぃ〜、」と鳴いてご飯を催促する様になった、茶色で、家中で飼っている5匹のスポイルされた猫達より一回り小さい。ちょっと黄色がかった茶色だということもあり、「きぃちゃん」と名付けた。とてもかわいい。おとといの朝、そのきぃちゃんが朝ご飯を食べに来た時に、ケージに入れて動物病院に奥さんと連れて行った。近所で野良猫が増えてるし、TNR(トラップ、ニューター、リリース)と言って、捕獲、虚勢、リリース、をした方が良い、という事で、ボランティア価格で手術してもらえたらしい。

ケージの中でもおとなしく、良い子にしてた、きぃちゃん。「明日の朝まで水もご飯も与えないで下さい、出来ればケージの中に居てもよいです」との事で、車の中でケージで夜明かしすることになった。何の病気も無いとの事。麻酔のせいもあり、帰り道はぐったりして、行きの時よりも可哀想になる。夜中に奥さんとチェックしに車に行くと、辛かったらしく、奥さんの膝の上に頭を載せて、目を閉じていた。

とても穏やかで、人懐っこく、余裕があれば家で6匹目として飼いたいくらいだった。だけど一番気になったのが、既にかなり高齢の3匹の家猫、その他の家猫との相性。大人のきぃちゃんが、いきなり家に来たらどうなるか、見当がつかなかった。結局、翌朝、ケージから出して、ご飯をあげて、そのままリリースした。その時もうちの奥さんに頭をすり寄せたり、ベッタリだったらしい。

次の日から、朝、きぃちゃんの声で起こされなくなった。ご飯を出しておいても、別の猫(もともとご飯あげる予定だった猫)は来るのに、近所でもきぃちゃんを見かけなくなってしまった。あんなに良い子で、病気も無かったから、家猫への感染の心配も無いのに、どうして、貰わなかったのか。名前を付けちゃったんだから、運命的に、貰うのがずっと自然な流れだったような感覚が否めない。どこでどうしているのか、心配になる。

奥さんもかなり後悔しているらしく、病院なんか連れて行かなければよかった、という気持ちらしい。悲しい。TNRとか、何が正しいとか、理屈とか、確かにそうなんだけど、そこには関係だってちゃんと生まれたと思う。そして、理屈ではなく、きぃちゃんは戻ってこないし、家の中は少し悲しい。

 

 

 

2013.6.29

 

「イメージをaffirmするもの」

 

もう10年も前でしょうか、カリフォルニアの友人の家に2週間お世話になった事があります。既に僕は日本に住んでいて、2年近く経ってました。用事があって訪米したのですが、それも済み、せっかくの環境を楽しもうと、地元の、のんびりしたカフェで、ボーっとしてました。はい、国が変わってもやる事は同じです。でもその時、啓示と言っても良い、ひらめきを得たのです。「あ、日本人って、自分がイメージしたものをあまり信じないんだ」と、頭の中で「カチン」と歯車が噛み合った様な感覚でした。もちろんアメリカの世界に比較して、です。

かと言って、ここで日米のイメージに対する捉え方の比較、を検討するのは、自分には出来ないし、それが言いたい事ではありません。言いたいのは、イメージをaffirmするような、友達、師、環境、その他諸々を、イメージそのものが必要としているし、そのようなイメージの存在を、副次的なものにせざるを得ない、環境は、感覚として一番貧しい感じがする。と、いうことです。人間が自然に感じる感覚を、瞬時に、類型化し、社会性を持った予定調和の方向を、計算しつつ、という感じでしょうか。自分がイメージしたものを信じる事に、最初からストレスが、かかりやすい。

僕自身の、子供時代から持っているイメージについて、この日記には良く登場します。何故か悪夢ばかりですが:髪の毛で覆われた世界についての悪夢、大きな窓、ガラスケースの中の怒り、沼地と滑車、etc.

早い話が、最近、それらのイメージも含む、イメージというものをaffirmするような、文章に出会い、少しだけ、孤独から、解放された様な気がし始めました。同時に、他人の作品などを、通じて、現前するイメージに対する受け止め方も、少しだけ、深くなった様な気がします。

(僕の場合、読書に助けられて生きています。日本とか、言ってますけど、全て僕個人の印象であって、そう言う物言いで、自分自身を捉えようとしているのです。)

 

 

2013.6.27

 

「アルバイト」

 

今朝は早く目覚めて、しばらく作業、サイン波の作品。体力が切れたので、皿洗い、ゴミ出し、簡単な朝食、夕方からバイトなのでシャワー、晴れてるので洗濯、いまコーヒー飲みながら日記書いてます。バイトまでの間に、読書、練習、制作の続きが出来たらすごいけど、多分このうちの1つは出来ないでしょう。練習の前に読書が来るのが良いです。自分をより見つめる事になるので、読書も練習、というより、「練習」っていう言葉がなんか、せせこましい、偉そうな、感じが少しします。

2013.6.26

 

「潮の流れ」

 

昨夜寝付けずに、気持ちを整理しようとして書いた日記(「半分」という題でした)がとても恥ずかしくなって、明け方削除しました。確かに、昨日は、何をやっても、半分しか感覚が無い程、疲れを感じてました。疲れすぎて眠れず、その事を、日記に書きなぐって、いい加減にごまかした気になって、寝たのですが、明け方意識が戻って来ると、とても恥ずかしくなったのです。それで、削除して気付くと、白鯨の物語、メルヴィルのMOBY-DICK、に呼ばれた様に感じました。マッコウクジラを求めて航海している帆船の甲板で、イシュマエルが、今でもモノローグを続けていて、それが、小さな声で聴こえる様な、というよりも、それ、を含んだ潮の流れに、引き寄せられて、そのまま本の続きを、しばらく読みましたが、とても楽しかったです。その後は、いい感じに眠くなって、夜勤明けの、奥さんを、病院に迎えに行くまで、ぐっすり良く眠れました。

 

 

 

2013.6.23

 

 

「物語2」

 

ソフィカル作品アドレスブック読み終わった。やはり、素晴しく「物語だけ」が混じりっけ無しにぽっかり残る作品、というのが印象です。

 

「現時点での自分」をまとめてみたくなります。

 

恐怖1:世界が同質のもので満たされる事。そこでは物語は情報に、コミュニケーションは情報交換に取って代わられる。自由は形骸化し、だれも他人の話を聴かず、群居性のみがもてはやされる。

恐怖2:物語という形をとらずに、誰にも記憶されずに死んで行く事。

恐怖3:1、2、の具現化として想像される戦争という集団ヒステリー状態。

希望1:コミュニケーションという与えられたキーワード。

希望2:物語そのもの、読書。

希望3:1、2、の具現化としてのライブラリ。

希望4:自分が少しでも成長すること。

 

 

2013.6.23

 

「物語」

 

物語が提示され、接近して来る。スピードが早いです。曖昧な物を曖昧なまま受け取る物の見方、が物語なのかもしれない。今、ソフィカルのアドレスブックという物語を、急いで読まねば、と思っています。

話がずれますが、物語を面白くする為に、生きてしまう事程、非現実的で、悪い意味でトンチンカンな事はないと思います。だけど、自律性を持ったかの様な、物語という形で提示される流れ、を意識する事によって生まれる、感受性と一体になった忍耐力/受け止める力、というのがあるように感じます。生きるのは恐い事でもあると思うのですが。

それにしても、物語と一人きりになれる場所っていうのが、スタバとはね。よいビジネスを考えついた物です。トムネコゴがチェーン店になればいいのに。

そして昨日は三角さんと群馬に行ってきました。三角さんすごいです。自然の一部の様に、他の様々な物が共振を始めます。間違いなくそんな感じがしました。

 

 

2013.6.17

 

「父の日」

 

昨日は父の日だったので、実家に行った。母の日も、何もしなかったので、それも込み、のつもりでもあった。弟とも久しぶりにお茶をした。当たり前だが、みんな歳をとる。アロハシャツを着ていったら、父親に、5回くらい「変わった服を着てるな」と言われた。「そうだね」とか「アロハだよ」とか答えた。実家には立派なステレオ装置があり、帰りがけに、弟とクラッシックのLPを聴いた。シベリウスとマーラー。もの凄く久しぶりだったけど、実家でも、そのステレオで音楽がかかるのは久しぶりとの事だった。音楽は感動的で、最近のCDみたいに、各楽器の分離、も関係ないといった感じの、一つの響き、みたいに聴こえる方が、自分には余程楽しかった。伝わる。いろんな事が、伝わりにくい家の中で。アンバランスな程に。

 

 

2013.6.11

 

 

「物語に呼ばれる」

 

 

数日前からポール・オースター著「Leviathan」を読み返している。とにかく、そこに人が居てくれる様に感じるのが、嬉しい。架空の人間なのに。淡々と、物語ってくれる。それ自体が何を意味するのか、勿論、語られる物語そのものと表裏一体なんだろうけど、救われる。理屈ではない、呼ばれている感覚(いつも自分は物語に呼ばれる気がする)。まずは、決めつけないで、読んでみなさい。小さく見えていた物事が大小では無くなって行く。意外と、自分の事を乱暴に扱っていた事に気付く。自分には自分の物語があり、それは他の人とは違う。その境目がぼやけていては、何かをまき散らしはするかもしれないけど、この主人公の様に、読者である自分にとって、そこに居てくれるのが嬉しい、とはならない。もっと自分を大切にしようと思う。それは意外と難しい。物語は箇条書きに出来ない。順番に、耳を傾ける。

 

 

2013.6.8

 

「うれしい」

 

昨夜は僕のバンド、ライブラリのコンサートが四谷三丁目総合藝術茶房喫茶茶会記であった。

本当に嬉しい出来事があり、もう、十分、嬉しい出来事があり、一晩経った今朝、奥さんを勤め先に、車で送った帰り、涙が出てきた。本当にありがとうございます。

とにかくベストを尽くすしか無く、昨夜が今現在の、自分のベストです。現場では、思いが一杯で、逆に、何も感じなくなり、さっき漸く、涙が出てきました。もう、十分嬉しいです。

ありがとうございます。

 

 

2013.6.5

 

 

「メロドラマ」

 

 

練習と作曲をした。先日届いたアンプスタンド、良い物。しかも2000円台。効果が素晴しい。もっと早く買っていればよかった。サイン波の新曲に昨日から取りかかっている。今から作業再開すると4時まで起きてるので、やめておく。晩ご飯に冷や麦食べながら映画「ドニー・ダーコ」観た。たぶん今まで4回くらい観てる。最初観たときは、自分もアメリカから帰ってきたばかりで、何だかとても観ていて恥ずかしかったのに(細かい部分がステレオタイプで安っぽく感じた)、何故かまた借りてしまう。意外な事に歳を取ると、恥ずかしくないし、細かい事突っ込んで馬鹿にしないし、変な言い方だけど公平に楽しめた(何様だ)。メロドラマでもあるけど、今回はお父さんお母さん役に共感した。歳とともに楽しめる(笑)変わった好きな映画。

2013.6.4

 

「どうか、届きます様に」

 

明日は朝7:30に家を出るので、早く寝なければなりません。今日は品川の美術館でソフィ・カルさんの展示を観て来ました。詩人の三角みづ紀さんに、ポール・オースターの小説リヴァイアサンとつながりのある作家として存在を教えてもらったのです。展示は「最後のとき/最初のとき」というタイトルです。素晴しく、見事でした。内容には触れませんが、物語を痛烈に感じました。ところで、作品を作って、展示する。このシンプルさ、にしばらく前から惹き付けられています。演奏活動も良いですが、コミュニケーションが目的だとすると、間に挟まる要素が多すぎると思う事も最近ありました。金曜日に僕のバンド、図書館系ジャズユニット・ライブラリのライヴが四谷三丁目であります。詩や物語という言葉を通じて心に繰り返し描かれた軌跡を音にした様なバンドです。さらにそれを言葉に置き換える、要素も加わってきました。どうか、届きます様に。

 

 

2013.6.3

 

「真空」

前回の日記から引きずっている、同質の物が際限なく入れ替わり、実は入れ替わらなくてもそれ程違いは無いが、そこに誇張された意味が張り付く、事を、コミュニケーションと呼んでいる、というイメージがなかなか払拭出来ずにいたら、自分が以前飛び込み、作曲という形で参加した物語の方から会いに来ました。頭が悪くて、突っ込んで考えらえないけど、同質で無い部分が浮き上がるのが物語なのかもしれない、ような気もします。と、言うわけで、明日はポール・オースターの小説Leviathanに出て来るマリア・ターナーのモデルとなったソフィ・カル の作品を原美術館に観に行こうと思います。fallというライブラリの1stアルバム最後の曲の題材になった小説ですが、これを機に本も読み直したいと思います。

 

「嫉妬」

ある有名な人の特集記事を雑誌で読んで、たまらなく嫉妬した。二日間ふらふらした挙げ句「自分は別にこの人みたいになりたい訳じゃ無いんだ、全然違う」事に気付いた。未来の事は分らない。ぼんやりしてると、いい加減な自己像がより社会的な力と存在に同化してしまう。

 

 

2013.5.31

 

「髪の毛の世界」

 

楽器を弾いている時は良いのですが、当然、弾き続けるわけにはいきません。音楽の不思議な作用は徐々に消えて行きます。どうしても、人と人のコミュニケーションや、社会、の事に思考が吸い寄せられて行きます。

幼稚園の頃に、見た悪夢です。世界中が髪の毛で埋め尽くされています。世界中、髪の毛以外何も存在しません。圧倒的な量の人間の髪の毛。今思うと、その夢程、孤独の本質に近付いた事は無いかもしれません。視界を埋め尽くす髪の毛を見て、自分は打ちのめされます「見えていない部分、つまりこの世界のどこまで行こうが、髪の毛しか存在しない」と、直感で解るからです。孤独はそこでは地球と同じ大きさをしています。巨大な髪の毛の縺れから、老人の顔が出て来て「お前はこれを解かなければならない」と言います。地球程大きく、同質な物が、どこまでも絡み合った世界、それを「解く」って?そこで叫びながら目を覚ましました。

同質で均一な物同士が際限なく入れ替わり、そこに無理矢理「意味」を貼付けて行く、という悪夢の様なコミュニケーション、のイメージに思考が浸食されてしまいがちなのですが、元々自分に備わった傾向だとしたら、一寸考えてしまいます。

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