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図書館系ジャズユニット・ライブラリ Library - a story-driven jazz unit official web site

 日記                   

 

2014.1.29

 

 

 

「色彩を持たない話」

 

数日前、車を運転している最中に、突如ある光景が思い出された。何処か遠いところから、ディテールが徐々に輪郭を持つ様に、現れたイメージ。最初はどこの何だか、自分と何の関係があるのか、全く合点がいかず、少し慌てふためいた。その時自分はある事について、思いを廻らせていたのだが、行った事の無い場所のイメージが先ず現れ、徐々に物語が付加されてくる。かなりの時間をかけて、そのイメージが、村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」の一部だと漸く気付いた。それもかなり難解な一場面。今の自分とは、少なくとも表面上は、全く関係がない。だけどもその、イメージが与えた、インパクトは一種独特の説得力を持って、感情に焼き付いた:理不尽に、今の自分と(深い層で)関係がある、故に喚起された、かの様に感じられた。

 

それで、ふと思ったんだけど、しかも全くの憶測だけど「色彩を持たない〜」はとても売れた割には「1Q84」或は「海辺のカフカ」「ねじまき鳥〜」程「斬新な出来事や事件」が起きず、読者を置き去りにしたのではないだろうか?自分は読後、何とも言えない不思議な感じと、視野の今までの作品とは違った変化 ー 大きくは何も変わらない様に感じた ー に、独特の雰囲気を感じて、「数年したらもう一度読んでみよう」と、本棚に置いてある。

 

今回、大げさにも、その中の全く忘れていたイメージが突然会いに来た。その印象を拡大解釈すると、「色彩を持たない〜」は、デジカメではなく、ピンホールカメラでしか捉えられない、抽象化された、寓話のような、胚珠のような、階層に属している、立体的な、ポータルの様な現象を物語にしたもの、なのかもしれない。「世界の終わりとハードボイルド〜」に出て来る「古い夢を読む、頭骨の図書館(でしたか?)」で読まれる、古い夢が、こんな感じなのかもしれない。また、読んでみよう。

 

 

 

2014.1.24

 

 

「呪いの話」

 

年末に、ふとした事があって、呪いについて、考えさせられた。

 

聴く人が居ない限り、物語は存在できない、とは昔から思っていたけど、聴いてもらえなかった話、それも、「ちゃんと」聴いてもらえなかった話、は時間をかけて呪いになるような気がする。

 

聴いてくれる人が居ない、状態が、長く継続した場合、話す側も、徐々に言葉を失って行く。どうやって、何を話したかったのか、混沌の中に埋もれて行く、忘れられ、クリスタルが徐々に成長する様に、鍾乳石がゆっくりと大きくなる様に、呪いが形成されて行く。

 

呪い自体は、忘れられても、決してなくならない(故に呪いなのだろう)、実体の把握が出来ないまま、人生を巻き込みつつ恐らく強い影響力のある、人間関係(例えば親子関係 etc.)を通じて、憑依する。無自覚に日々の生活を送る事が、それを手付かずの状態で保存する。

 

お互いの話をちゃんと聴く事は、きれいごとではなく、正面からぶつかる、ということでもある。その為の時間も場所も、エネルギーも、要は人間関係の事なんだけど、一般的に、とても限られている。忙しすぎるし、効率が悪すぎる。ぶつかることが、悪い事になり過ぎていて、避ける為の知恵(浅知恵?)ばかり発達して、自分も(というか完全に自分の事だ)含め、どんどんと、ぶつかる事に関して、無知で、同時に無防備になってしまった。過去にぶつかって失敗した経験がトラウマになり、それに拍車をかける。

 

意識されたものは、積み重ねられる、だけど、話し手からも忘れられた「大切な」物語は、無意識の中で、積み重ねられ、もはや実体が分からない程、さらに積み重ねられて、何世代も受け継がれる呪いになる様な気がする。

 

そんな事を年末に考えさせられた。それは自覚でもある。

 

 

 

 

2014.1.21

 

 

「夢1/21- 関口さん」

 

藤沢市に向かう旧国道1号線沿いの様な道を歩いている。昼間で、沢山の大きな木が茂っている。秋なのか、葉が全て茶色に枯れている。地面も落ち葉で埋め尽くされている。藤沢を背にし、道の突き当たりにある大木の下に来る。何故か居心地が良い。振り返ると、道の向かいに金網があり、その向こう側に女の子が立ってこちらを見ている。もの凄い風が吹き始め、茶色の落ち葉が一斉にこちらに向かって飛んで来る。突風の中、我々は何かを話すが、記憶に残らない。道の向こうから、アルバイト先の人たちが歩いてくるのが見える。面倒なので、スクーターの様な乗り物で、辺を一周し、彼らをやり過ごすつもりで戻って来ると、曲がり角で、上司とはち合わせしてしまう。上司はとてもいい人なので、2人で大きな木の下に行くと、女の子は消えて、関口さんが居る。関口さんは三宅裕司に似ていて、60歳位、軽い天然パーマで、前髪を少し前に垂らしている。『野球賭博の予想表』、という物をワラバン紙に印刷して売っている。木の下は関口さんの商い場であった。バイトの上司が気前良く、予想表、を数枚買う。

 

記憶が戻って来る。自分は数年前、都内からの昼間の仕事帰りに、木の下に置いてあった『予想表』を見つけ、不思議な居心地の良さも手伝って、楽しく読んでいるうちに、昼寝をしてしまい、ふと目が覚めると、目の前に関口さんが居たのだ。そうして出会っていた事をすっかり忘れていた。

 

上司と数名のバイト先の人達と、すぐ近くにある関口さんの家に上がる。とても小さな家で、畳にちゃぶ台、の6畳程のスペースに、大人5−6人が座る。関口さんが、『野球の予想の札』という物を我々にくれる。自分にくれる時に「勝負の気(機、木、期、器、来、樹、?)が無いと、世間は振り向いてくれないぞ」とアドバイスしてくれる。何だか調子が悪そうなので「関口さん、病気なの?」と訊くと、相当具合悪い、とのこと。もらった札を手に家から出る。外で他の人達と思わず顔を見合わせる。何だか全部嘘だったのでは?という気がしてくるのだ。ひょっとしたら関口さんはお化けだったのではないだろうか?今出て来た家の方を見ると、何にも無くなっている様な気がして、見れない。居心地の良い木の下に戻りたくなった。

 

 

2014.1.12

 

 

「焦っちゃダメだ」

 

 

右手は山の麓になっていて、左手前方には森、斜め右手前方に小径が続いている。先は白い光。空間も淡い白で埋まっており、文字の「厚み」である黒い線が横にいくつも浮かんでいる。小径は砂利で出来ている。少し進むと白光の強さが強まり、視界が悪くなる。未だ進む時ではないのか?いいや、違う、祈ると、周囲の周波数がチューニングされ、空気や景色が明確になる。さっきは見えなかった小径の先が、もう少し先まではっきりとしている。流された血が徐々に世界に染み渡っている様だ。見えて来た部分に、徐々に暖かい色味が射すのが分かる。焦っちゃダメだ、と思う。プロセスのゆっくりとしたスピードを感じ、味わって、初めて分かり、見えてくる存在と、体験の一部になる物があるのだと、思う。再び祈る、周囲の空気が自分に馴染むのが感じられ、それに従い、視界が拡がる。

 

 

 

2014.1.9

 

 

「目を凝らす」

 

 

暗闇に目が慣れるのと同じ様に、光にも目が慣れる。長旅の末、真っ白な光の中に、たどり着いて、これで終わり、かと思い込んでも、かなりの期間を経て、目が慣れてくる。白一色の中に、濃淡が確認され、更にコントラストを増し、風景が現れ始める。岩が見え、足下には草が見え、遠くには森のある様な気配が感じられる。同時に、空間は、埋め尽くされてもいる事に気付いた。白い光が埋め尽くしているのと同時に、文字が漂う。文字は「断面」というか、90度手前か、90度向こう側に倒れているので、黒い線にしか見えない。そんな薄い黒い線が無数に空間を埋め尽くしている。風景に意識を集中すると、空間を埋めている物は薄くなる。ある儀式が行われ、血が流される。血の赤い色が、白の世界に、一気に色彩をもたらし、岩や、草や、空や、森、はそれぞれの色を得る。そんな景色の中に、小径が続いている。意識をすれば、空間を満たしている文字も同時に見える。

 

 

 

2014.1.5

 

 

「抱負というより振り返り」

 

 

昨年を振り返り、最も大きかったのは

 

人生を他人と比べる程、不正確でナンセンスな事は無い

 

と学んだ事です。

 

 

 

 

 

2014.1.1

 

 

「初夢」

 

 

アメリカの安アパートの駐車場。一階が屋根付き駐車場でその上がアパートになっているタイプ。敷地内で古い70年代の日本車の修理をアパートの住人の男(知らない人)としているが、埒が明かない。いろんな犬がいる。ドーベルマンが少し悲しそうな目つきでこちらを見ながら、斜めに歩いていく、太った60代くらいの白人女性がダックスフンドをつれて、ケチを付けてくるが、無言でじっと見るだけで、何が言いたいのかよくわからない。空が黒に近い程青い。地面のコンクリートがやたらと白い。

 

アメリカの農場の市場の様なところにいる。壊れそうな70年代のアメ車を運転している。市場は壁も屋根もトタンでできた高さ5m位の建物が蛇行して延びており、どこまで続いているのかは分からない。地面は土がむき出しで、湿っている。雨が今にも降ってきそう。カウボーイハットの白髪の太ったおじさん達が沢山いる。ふと「ベースを忘れた!」と気付く、自分はそこで演奏する事になっていた。何処かにエレクトリックベースならあるのでは?と借りれないか尋ねるも、ポールマッカートニーみたいなバイオリンベースの使い物にならないやつしかない。これでは仕事にならないので、さっきのアパートまで取りに帰るしかないが、時間がかかる。

 

 

 

2013.12.31

 

 

「大晦日」

 

 

そういえば小学生の時「大晦日」という大晦日を過ごした際の作文を宿題に書いて以来、大晦日が一年で一番好きな日になったのでした。

 

今日は:

 

・午前中新曲のデモ音源をライブラリメンバーの皆さんにメール(わくわく)

 

・藤沢で弟と合流、日高屋で味噌ラーメン半チャーハンセット(うまかった)

 

・藤沢駅南口のカソリック教会の誰もいない静かな会堂で瞑想と祈り(素晴らしかった)

 

・南口ベローチェでタバコをもらいつつ、先日、狂気の家、だったクリスマスの実家を振り返りつつ、弟と話し合う(有意義だった)

 

・トイレに行きたくなったので北口のビックカメラに行き、ついでに腕時計売り場をウロウロ(リラックスした)

 

・甘いものが欲しくなり南口のMr.ドーナツでドーナツ二個食べた(甘かった)

 

・辻堂駅まで電車で戻り、家まで徒歩で帰宅中、かみさんが仕事帰りで自転車で後ろから追いついた。半額で買った「さんた」のお好み焼きを自転車で持っていってもらう(楽しかった)

 

・今からビール飲んで年越しそばを食べて、ゆっくり風呂に入る予定。

 

と、言う訳で、最高の大晦日でした!

 

 

 

2013.12.28

 

 

 

「本と心中」

 

 

物語をベースに曲を書くので、期日までに完成しようがしまいが、物語の中に没入する。理屈では作曲する為のプロセスなんだけど、「今」生きるという事がそういう事。年明けのリハの少なくとも数日前にはデモ音源と譜面は完成していないといけないんだけど、同時にそれを気にしてたらは没入にならない、計算があっちゃダメ。で、譜面にはまだ一音も記さず、ひたすら読書。この感覚が懐かしい。スリリングですらある。沈む。出来なくてもいいじゃないか。自分の中が先ず必要としている。餓え乾き。別に会社や他人から依頼されてやってる訳じゃなく、餓え乾き、今、先ず、何かに近づく、時間が過ぎる。

 

 

 

2013.12.20

 

 

 

「ぐるっと一周」

 

 

 

二月七日にライブラリのCDリリース記念ライブが四谷喫茶茶会記にて催されます。どうぞ皆さんお越しください

 

CDリリースライブなのに、新曲も旧曲もやります。

 

現在二曲目の新曲を作ろうか、それとも自暴自棄に、無かった事にしようか、正直思ってしまう今日この頃ですが、だからこそ!という感じです。もっとも出来上がった曲が気に入らなければしょうがないのですけど。間に合わなかったらしょうがないんですが。

 

同質なものが延々と繰り返されるのは、自分には地獄です。ホロコーストがあり、戦争があり、人間の目から見たら分からないけど、それはもう何度も繰り返されて来た、みたいな物言いが、嫌いです。自由と想像力の放棄です。

 

医学が進歩します。移植がいとも簡単に行える様になります。痛くも痒くもありません。術後十分で完治します。整形手術も遊び半分で気軽に出来ます。お金も大してかかりません。移植がはやります。尻の肉をずらす事に始まり、一年かけて全身の向きを「ぐるっと一周させたら、何だかすっきりした」というお金持ちが出て来たりします。「ぐるっと一周」がはやりだします。みんな右回りで一周させたり、左回りで一周させたり、上下で一周させたりします。一周している間の体の歪み具合の美醜を競い合ったりします。

 

上下左右あらゆる仕方で「ぐるっと一周」させた人はもっと「大きく一周」させたくなって、結局自殺してしまいます。

 

何度も繰り返されて来た、みたいな言い方はそんなニュアンスで語られることがあります。それが嫌いです。

 

結局自分自身の事です。

 

 

 

 

2013.12.16

 

 

 

「夢12月15日」

 

 

大きな屋敷にいる。探偵小説の様な雰囲気。日本の洋館。天井がとても高い。ニスの塗られた木目が美しい多面体の部屋、ホール。全ての壁に背の高いドアが埋め込まれている。数人が一緒にいるが、何人かは分からない。一斉に別々のドアから外に出る様に言われる。皆急いで出ようとする。自分もある男性の後について出ると、もっと小さな四角い部屋で、男性は右側、自分は左側を見ると、さっとドアが開く。早く外に出ないと外が塞がれてしまうらしい?慌てて外に出る。いくつかのドアを抜け、外に出ると、おびただしい枯れたツタの様な植物に一面覆われた斜面。自分はコンクリートで出来た斜面を横断する壁の上を歩いて、普通の高校の通学路に出る。見ると学生服の高校生が帰宅するところ。普通の住宅地。彼らと一緒に坂を下っていくと、いつしか小川の流れる秋の森の中にいる。アルミホイルを丸めた様な大きな(直径1.5m程)のボールが対岸の森から転がって来て、小川(深さ10cm程)の真ん中で、ぱっくりと中が開いて、忍者の姿をした津川雅彦が、でんぐり返しをして出てくる。アルミホイルは一部が焦げていて、焼き芋を思わせた。

 

 

 

2013.12.13

 

 

「日記なんか書いていないで」

 

明日は朝早くから千葉に行くし、さっさと寝るか、本読んでいた方がよいのですが、、、。

昨日は、今年一年ほぼ完全に注ぎ込んだアルバム「Light/Library」がリリースされ、その前日には、詩人の三角みづ紀さん、翻訳家の柴田元幸先生と発売記念トークイベント&ライブをさせて頂きました。イベントは二日経ってみると、某天才打楽器奏者のアルバムタイトルの様になんだか、夢みたいに感じます。アルバムがリリースされると、前回もそうでしたが、なんだか変な感じがします。おそらくそうゆうものなのでしょう。

 

旅行に行きたいです。出来ればフランスから出発してスペインのサンチャゴへの巡礼の道を歩く旅に出たいですが。せいぜい近所のスタバまで歩くのが今出来る事です。

 

アルバムを全身全霊を込めて作って、たくさんの人に受け入れてもらえれば、とても嬉しいのですが、この一年、その道を歩みつつ、気づくと、自分自身に関するデータが以前よりも分かってきて、一年前とは、人生に対するイメージの持ち方が少し変わってしまいました。リリース翌日に言う事では無いですが、その事にも意味がありました。自分に、徐々に向き合う為の旅行ができればな、、、1ヶ月位(笑)。

 

気づくと午前1:40。居眠り運転は怖いので、寝ます。

 

 

 

2013.12.6

 

「イチゴ味」

 

 

未だ、南アフリカ共和国でアパルトヘイトが撤廃されず、ネルソン・マンデラ氏がおそらく釈放されたばかりの頃、ニュースで南アの白人政治家が、アイスクリームコーンを片手に裸足で遊び回る、黒人の子供達の映像を流し「見て下さい、彼らのアイスクリームにも、ちゃんとフレイバーのバラエティがあるでしょう、この子はイチゴ味です」と言っていたのが思い出されます。その、コメントの悲しさ、チープさ、というのは、そのニュース番組はアメリカの物でしたので「自由=アメリカ」をプロパガンダする雰囲気もデフォルトで漂っていたと思います。

でも、そんなつい最近はもとより、僕の国でもある日本では、もうずっと昔から、イチゴ味のアイスクリームはありま

「自由」について、自由は心の中に先ずあるものだと思います。フレーバーが増えれば、それで幸せ、という事ではないでしょう。

秘密保護法案に至る、経緯があり、あきらめてはならない、今考え、これからできる事、があると思います。

 

 

 

2013.12.3

 

彼らの音楽と、文学との関係』

 

告知です。

『彼らの音楽と、文学との関係』12月10日(火)下北沢B&B 20:00-22:00

ライブラリ『Light』発売記念トークイベント&ミニライブ

蛯子健太郎 x 三角みづ紀 x 柴田元幸

今朝は、非常に分かりやすい悪夢も見ました(笑)。自分は「物語を生きてきた」と言っても良いでしょう。それを、音にしている。考え、計算したのではなくて、切羽詰まって、ぎりぎりのところで、物語が提示する「トンネル」を拠り所に、生きて来た。防空壕に飛び込む様に、ウサギが穴に逃げ込む様に、「物語」に飛び込む事に依って初めて見える、曲がり角、抜け穴、抜け道、それら「手がかり」によって、自分自身に少しでも近付かなければならない。それは自分には、とても切迫した必要です。その中で、記憶の印し、の様に書いて来た曲達。音楽として、文学として、という視点は、個人がそれを実際に「生きる」時に、一気に別の意味を持ち始めます(少なくとも自分は)。それまで、そのもの、であった物が、「通過するためのゲート」になります。ゲートは微妙に色合いの違う2つの世界の「敷居」になります。その記録、碑、としての曲。今回そんな、じたばたと生きて来た自分に、興味と、好意を持って、振り返り、検証する機会を設けて下さった、柴田元幸先生、三角みづ紀さんに、心からの感謝を表したいと思います。

 

 

 

 

 

2013.12.3

 

 

「物語の奥にあるもの」

 

 

物語の奥にあるもの、が見えてきました。これだけ書いてみても、自分でヤバい、と言う気がします。最近はその事ばかり考えていますが、同時にその見えて来たものは、危険でもあります。今の世界では、ほぼ暗黙のタブーでもある感すらあります。ので、ここには書けません。既に持って回った言い方の上に、さらに持って回った言い方になってしまいます。例えば仮に、秘密保護を名目に、私たちが「今」まさに、自由を失おうとしているのであれば、戦後から「今」に至るまでの期間、私たちは何をやって来たのでしょう?「日本が負ける」と呟いただけで特高警察に殴り殺されてしまう世界に居れば、「自由」をイメージする事は簡単でしょう。でもテレビのチャンネルや、アイスクリームのフレーバーが二桁以上になった自由な世界で、私たちは選択肢を増やす、以上の自由をイメージできなかった、という事になってしまうのでしょうか?

物語の奥にあるもの。

 

 

2013.11.29

 

 

「ものすごい一年」

 

 

今年も残すところあとわずかです。もの凄い一年でした。多くの物事が自分のバンド、ライブラリのセカンドアルバムの制作を軸に動きましたが、1月12日のレコーディング以来、表面の目に見える部分もそうですが、それよりも自分の内部が「動き出した」感じがします。今まで無意識だった暗闇にライトが当たる。それによって心の深い部分が活性化され、新たな旅が始まった様です。アルバムのタイトル『Light』は、絞り出すように、且つ偶然ひらめいたタイトルですが、船出、にも似た、この状況そのものかもしれません。どこに船出するのか?分かりませんが、今まで無意識だったある種の「動き」に対する自覚に目覚める、ということは、「どこに船出」と問う時に、一般的な尺度に収まらない気がします。生きるということの、意味が少し変わる様な感じかも知れません。激しかったり、さほど激しくなかったりしますが、かつて無い精神状態の居心地の悪さも含め、感謝しています。

そんな精神の状態で、オートリピートでずっと聴いているCD

None But The Lonely Heart - Charlie Haden and Chris Anderson

です。

まさに今こうして聴くと、人生のありとあらゆる事に対する、答えが詰まっている様に聴こえます。その答えは、自分にしか分からず、且つ、他人に分かち合うことのできない、そんな類いの答えです。そんな風に感じさせるチャーリーはやはりヘイデンです。

今、分かりました。以前、尊敬するベテランの素晴らしいギタリストから楽屋で「チャーリー・ヘイデンって今の日本にいたらやっていけるのかな?」と問われたことがあり、それに対して、自分は「確かに、そういう部分はあるかも」と思ったのですが、今こうして、このCDを聴きながら、断言できます。

「今の日本で、チャーリーがやっていけるかどうか、は分からない。だけど、彼が居なかったら、そもそものジャズそのものが、今、こうして存在しなかっただろう。彼は奇跡なんだから」。

 

 

 

 

 

 

 

 

2013.11.27


 


 

「踊るあほう」
 

 



今日は昼間リハでした。バンマスが「自分は踊るアホウなんですよ」と言っていたのが気に入ってしまった。いい言葉だな、と。そう言えば自分も「踊るあほう」な気がする。何だか気っ風が良いユーモラスな言葉です。

 

ライブラリの2ndアルバム『Light』PVをstudio kenzo onodaさんに創って頂きました。何度観ても素晴しく美しい、本当に、本当に、頭の下がる、PVです。今週中にUPしますので、是非お楽しみに。
 

 

昨日は下北沢の本屋B&Bにて12/10に行われる『Light』発売記念トークイベントの打ち合わせでした。「当日ではなく、打ち合わせの場なので、正直に言いますが、、」と言って話した事に対して、「そうゆう事を話して下さい」との事でした。了解いたしました。盛りだくさんで、お届けします。
 

 

いきなり話が変わって、子猫のぷーちゃん、すっかり元気になって来て、おそらく来週には、台所隔離から解放、出来る気がします。今までいろんな子猫を育てて来ましたが、この子は「もの凄くまとも」な感じがします。今までに無い「真っ直ぐな視線」。一体なんなんだろう?と可愛いです。家で飼うのは5匹目の吾郎で終わり、と思っていたのに、2回にわたって家の玄関前に一人でいたぷーちゃん、うちに来てくれてありがとう。既にどれだけ助かっている事か。黒猫の吾郎がぷーちゃん気になってしょうがないらしく、ガラス越しにじーっと遊ぶのを眺めてます。

 

 

 


2013.11.25
 

 

「トムネコゴ」
 

 

今日は珈琲屋トムネコゴに行く為にのみ、吉祥寺に行って来た。どうしてもあの空間で、(できれば)一人になりたかったというのと、友達でもある店主と、話もしたかった。生活の中で、呼ばれた感じがして、数日前から決めていた。昼過ぎに行くと、お客は誰も居ない。いつも座る席が2つあるのだが、今日は窓の左側、線で書かれたユーモラスな肖像画が飾ってある方。とても疲れているので、いつものブレンドじゃなくてカフェオレを注文(カプチーノと同じなのですが、トムネコのやつは、スチームミルクのフォームの強さ(thickness)が凄いです)。二杯目にブレンドを頼むつもりで、とりあえず、カフェオレ。

順番に書くと書き切れないので、とりあえず、「線で書かれたユーモラスな肖像画」(と、理由も無くそこに腰掛けた理由)、店主が「これ見て下さい」といって見せてくれた、先日自分も注文して、今日自宅に届く筈のモンキーという文学雑誌(に彼は全く自分とは違う理由で惹かれていた)、店内で流れる古いジャズのレコード、吉祥寺という場所、が、「偶然」というキーワードで、席についてから20分位で、見事に繋がってしまい、「自分が今日トムネコに来た理由」がそれだけで分った。そして、場所、と音、と人、のお陰で、とてもリラックスして、話す事が出来た。

その後、数人のお客が出入りし、Oracle Nightという本を読み直したのだが、そこに記されている、物語、が、自分の中で、今までに無く、共鳴した。

自分は生きている。生きている物は、意識に関わらず、止まるという事は無い。そんな事を、感じた。

偶然かけてくれた思い出深いレコードが終わる前に、感謝しながら、お店を出た。

ありがとう。

 

 

 

 

 

2013.11.16

 

「隣人のいない部屋刊行記念朗読会2」

 

今日は千葉のトレジャーリバーブックカフェにて、詩人の三角みづ紀さんの第5詩集「隣人のいない部屋」刊行記念朗読会でした。自分はコントラバスで「頁をめくる音」を担当させて頂きました。

「今しか存在しない」という事が演奏中ずっとありました(過去の事を思い出してる「今」/先の事を想像している「今」/詩について、こう感じる事の是否について一瞬先を気にしている「今」/詩について、こう感じた過去の影響を気にしている「今」/過去の演奏の記憶に苛まれている「今」/「今」の決断について、一瞬先を案じ、一瞬前を気にしている「今」/師匠の記憶が甦る「今」/「今」しかないという選択肢の存在しない自由 /etc.)。

結果何も覚えていません。勿論、表面上何をやったか、は記憶しています。だけど、「連なる今」の中で、起きた事に良いも悪いも無い、そう言う意味では、朗読されたそれは、いわゆる「詩」ですら無かった(少なくとも自分にとっては)と言うのが実感です。それは「今」でした。そしてそれは部分ではなくて、全てを含んだ事象の連なりとして、起こりは消え、起こりは消えて行く「連なる今」。その様な事を、とても強く体験しました。その様な意味で、何も覚えていません。それが、日常だとしても、演奏させて頂く事に拠って、より凝縮した形で、集中し、体験させて頂きました。詩とはそういうものなのでしょうか?

 

三角さんを含め、その場に居合せた全ての方々に、感謝します。皆さんの事を、忘れてはいないのに、何も覚えてもいないのです。

 

 

 

2013.11.10

 

「お前が眠らない夜に」

 

風邪をひいたので、ほぼ一年振りにレクリエーション/リハビリ翻訳をしました。

以前訳した物を読んだら結構面白かったからです。

ブコウスキは英語が僕でも分りやすいのと、楽しいので、実はファンなのかも知れません。

アメリカ西海岸のずっと変わらない感じが伝わって来ると思います。

 

お前が眠らない夜に ー C.ブコウスキ

 

海では浜辺では暗闇の中に誰かが座っていた海岸沿いに停めた車内にそしてその太鼓を叩いていたアフリカの様にそしてパトカーが路肩を通り過ぎた

そして俺は失望の海に降りて行った

そして海面に2つの青い光とボートを見た

そして白いシャツを着た男が通り過ぎそして水辺でしゃがみ込みそして立ち上がりそして波打ち際に沿って歩いて行った

そしてまたもう1人の男が来て彼の後をつけて行った:

彼等は2人とも波打ち際に沿って歩いた

1人はもう1人の12フィート後ろでそして俺は彼等が視界から消えるまで見ていたそして立ち上がり砂の上を歩いてセメントに達しバーのドアを抜けてライトで顔が照らされたニグロが歌っているのを見た

彼は風変わりな歌を泣き叫びそして歌の響きは空気中でねじ曲がりそして全ては空っぽでドライでお気楽でそして俺は自分の車で熱い街に戻った

だけど俺は知っていたその時をいつも覚えているだろうと

そしてその魅力を 夜が静かな絨毯の様にその上を歩く人々に邪魔されずにぶら下がっている様

そして一艘の小舟がブルドッグの様に打ち付けて来る波に勇ましく揺れてるのを

そして壊れた心が海のただ中で具合が悪くなった様な桟橋の有色ライト。

 

 

 

2013.11.7

Library@茶会記1.11.2013について」

 

先日11月1日に四谷茶会記で催されたライブラリの5ヶ月振りの「記録動画(静止画)」をYouTubeにアップロードしました:

Library@茶会記1.11.2013

いろんなところに5ヶ月振り、と書いたので、「何か様子が分かる様な物」を、シェアしなければならない様な気がしたのです。それで、この日記は、YouTubeを観て下さった方との(とても有り難い)やり取りから派生しています。

ライブの録音を聴くと、実はとても良いのです。が、同時に、そのままアップロードすると、それこそ、別物になってしまう、恐らく間違いなく、別物になるのは避けられない気がしました。ライブ後にシェアするのであれば、最初からそれ前提に、プロデュースする位でないと、、神経質ですね。でも何かが引っかかる。では、最初から、「何か様子が分かる、別物」を作ろうと思い、当日の音源から、5曲を同時再生して、編集した物です。写真の部屋で、起きた事:「部屋の記録」です。

5ヶ月の間に、いわゆる「空気を読む」という事にそれ程こだわらなくなってきました。少し位の危険なら、回避することが必ずしも最善では無いかもしれません。この動画(静止画)にしても、以前ならもっと躊躇してたと思うのですが、結局、何かを発表することは、上手くやる、事とは少し違うよな、失敗、や誤解、も含めて、結果を引き受ける事だった、と気付きました。100人中、100人が等しく、95%ネガティブな印象、を持ったとしても「95%ネガティブな印象」の陰で、「意識されない残りの5%」が時を経て「ポジティブな芽」を出したりする事が、自分の経験上、多々あります。反面「何だかポジティブ」な物が、時が経つと、何だか気持ちの悪い物、になっている事も(80年代マイルス・デイビスの服装は、そのどちらに属するか?は、どうでも良い脱線です、しかも作品ではないし)。この様な違いがどこから出てくるのか?それこそ神経質に「狙う」事では無い、パラドックスですね、マイルスさん(笑)。歩きましょう。

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