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図書館系ジャズユニット・ライブラリ Library - a story-driven jazz unit official web site

2013.1.16

 

 

 

「社会復帰」

 

実はレコーディング以来、かなりひどい腑抜け状態が続いていて、音楽聴いてもスカスカ、聴ける音楽がグレイトフル・デッドとフィッシュだけという分りやすい症状。楽器触ろうとする吐き気がします。身体もフラフラで死ぬ程眠い。そんな中、吉祥寺にレコーディングのファイルを受け取りに行ってきました。これでちゃんと一区切りです。どんな状態でも明日からきちんとします!その運転中、僕は自分の車に大変お世話になっている事に気付きました、とても素敵なホンダフィットです。こんなにお世話になってるのに何年も名無しなのは申し訳ないので、今日から「いたち号」という名前に決めました。素敵な名前だと思います。

 

 

今日もリハビリ修行翻訳して寝ます。

 

 

勇敢な雄牛 - C.ブコウスキ

 

 

メキシコ人が

      やったとは  

           知らなかった:

                  その雄牛

は勇敢だった

      そして今

          彼等は死んだ雄牛を引きずって

                       行く

 

リングの周囲を

       彼の

         尻尾をつかんで、

                 勇敢な死んだ

                       雄牛、

私には

   特別な

      レッスン、、、

             そしてブラームスは

交響曲一番をベートーベンの

             九番から盗んだのだが。

             そして

雄牛は

  死に

    彼の頭部も彼の角もそして

彼の内蔵も死んだが、

          彼はブラームスより

                   良かった、

                        ベートーベンくらい

                       良い、

そして

我々が立ち去る際

        彼の音と意味

              が

私の腕を這い上り続けた

そして人々は私にぶつかり

つま先を踏んづけたが

その雄牛は私の中で燃えた

           私のジーザスの

                  ロウソク、

尻尾をつかんで引きずられ

            彼は何にもしなかった

                      そんな目に遭う様な事を、

そして長いトンネルと威嚇的な視線を抜けて、

その肘と足と目、私はカリフォルニアの為に祈った、

そして死んだ雄牛は

        人間の中に

         そして私の中に、

     そして私は手を合わせた

              私のポケットの

中深く、つかんだ暗闇、 

           そして先に進む。

 

 

 

 

2013.1.15

 

 

今日も同じ詩集の次の作品を和訳してみました。修行というか、日課になりつつあるというか、精神的に良い気がします。訳の精度に関してはご勘弁を。あと訳しながら「なに言ってんだろうね、この人は?」と半ば呆れつつ、でも丁度良い感じもするので、気分のリハビリも兼ねてる感じです。

 

 

贈呈用のコピーをどうするか? ー C.ブコウスキ

 

(拝啓、あなたの書いた詩の

ギャラが少ない事は

我が社も承知しておりますが、

4冊の贈呈用コピーを差し上げます、

あなた御自身かあなたが贈呈したい方に

直接郵送させていただきます。ー編集者より)

 

そうかい、だったらM.S.に送った方が良いさもないと

おそらく彼女は便器をオーブンに突っ込むから、彼女は

自分じゃいい女だと思っている、多分その通りかも知れない、知ったこっちゃ

無いがね

そしてC.W.は若い少年達に作文を教えるのに忙しすぎて

手紙の返事を書かないしいろんな場所に行くのを俺は知ってる、そしてそんな奴だから、奴にも一冊送った方が良い、、、

        そしてパーム・スプリングスに住んでいる俺の年老いた叔母  金が全て そして俺は

金以外全て持ってる、、、才能、良い歌声、

内蔵に深く食い込む左のフック、、、彼女にも一冊送ってくれ、

彼女に電話を切られたんだよ、最後に酔っぱらって電話した時に、

明らかに助けが必要な証拠があったのに、切ったんだよ

俺の電話を、、、

       そしてサクラメントから

手紙をよこして来るこの女、、、とても落ち込んだ

クソ女、ワッフルみたいに引っ掻き回され打ちのめされ、

優しくて知的な誘いを持ちかけてくるが俺は無視する、

だけど彼女にも一冊

         火箸の代わりに。

 

これで4冊?

      もっと詩を送ろうと思うよ

      近々なぜなら

      俺の詩を出版する様な奴らは少し

      狂ってる、だけどまあ良いさ。俺だって

      同じだ、どっちにしろー

それまでの間

      俺の詩を

          諦めないで欲しいもんだ

俺自身が

    諦める

       前にな。

 

c.b.

 

 

2013.1.13

 

 

「レコーディングを終えて」

 

 

自分がリーダーのアルバムレコーディングをすると、終わった後、なぜだか必ず傷ついた様な感覚に襲われます。昨日もライブラリのセカンドアルバムのレコーディングでしたが、今までの例に漏れず、何かに刃物で深くえぐられた様な感覚が、一人になったとたん襲ってきました。ま、いつもの事と言えばそうなので、疲れた、と言えばそうなのでしょう。だけど、これは脱皮の様な感覚の疲れです。昔テレビで、ジャングルに住む大きな蜘蛛の事をやっていて、ある月夜になると脱皮をするのです。それは非常に危険なプロセスで、肢体のどこかが外皮に引っかかったらアウト、上手く行っても日が昇るまでに長時間かけて乾燥させなければならず、その間、外敵は勿論、一寸でも動いたり、風が吹いて何かが飛んで来たらアウト、なのだそうです。

今はデジカメの時代ですが、昨日写真を撮ってくださった河原さんはフィルムカメラでした。以前から思っていたので、つい「デジカメの時代になってから、心霊写真って減った様な気がしませんか?」と馬鹿な質問をしてしまいました。思えば昨日のレコーディングもデジタルではなく、アナログテープマルチトラックでした。デジカメとの対比でいえば、フィルム(テープ)に音を焼き付けて行く作業が、あたかも「本物」の心霊写真を意図的に制作、していたのだ、と思い当たります。

お化け、じゃなくて、人格をもった僕自身のこの数年の魂、のようなもの、を月夜にジャングルで蜘蛛が脱皮をするように、テープに吹き込みました。まさに、その様な内容でした。それは大きく、予定調和的な自分の目論見を越えました。なぜなら、自分には自分のごく一部しか分っておらず、ましてや、他人であるメンバーや、エンジニアの事など、さらに分ってなんかいないからです。みんなが「僕」という人格を軸=きっかけ、にして、結果として、意図的であり本物でもある心霊写真をアナログテープに吹き込んでくれたのです。

思うに「仲良し」である必要は全然ないのです。だけど「トンチンカンな愛」は必要なのだと思います。昔観た「マグノリア」という映画に、テレビのクイズ番組で天才少年だった、ゲイのキャラクターが出てきて、最後に泣きながら「愛はたくさん持ってるのに、与える対象がいない」と訴えるシーンがあった様な気がします。様々なキャラが錯綜した昨夜の事を振り返り、ふとその事を思い出しました。で、それでいいと思うのです。蜘蛛はそのように危なっかしい脱皮をするのでしょう。

映画、また観たくなってきたので後でDVD借りて来ようと思います。そして、まだまだ、乾燥するには時間がかかりそうです。ひりひりしてます。

帰宅時に出迎えてくれた奥さんと猫の吾郎、ありがとう。

本当に皆さんありがとうございました。

 

 

2013.1.11

 

今日もまた、同じ詩集の次の詩を翻訳しました。自分がまず使わない言葉が出て来たりして楽しいです。一人称をどうするか、でもブコウスキなので無責任に「俺」にしました。

それにしても勝手に翻訳してホムペに載せるのって著作権的にはどうなんでしょうね?別にレクリエーションでやってるだけなので大丈夫だとは思いますけど、、、

 

 

恋人と古い南北戦争の絵画を観る事について ー C.ブコウスキ

 

 

 

砲手は死んでいた、

そして全ての兵士たちも;

 

うぬぼれた太鼓打の少年

墓よりも間抜けな

が、赤いネットの中に横たわっている;

 

そして落ち葉の下では、虫達が触角をピクつかせて

どっちに動こうかと決めかねている

ひんやりとした腐敗の傘の下;

 

風が僅かな水の様に流れる

そして衣服の下をサーチする、

移動しつつ哀れみつつ;

 

、、、衣服は重い骨によって固定される

午睡の中で

丁度人が梯子を下る様に、休んでいる;

 

だが一時間前

の影 そして 人 の影

が陽光の中に輪郭を現した

 

だが今、彼等の誰一人として

特定できない

何が彼等を無へと向かわせているのかを;

 

そして俺はおもにどこか遠くにいる女の事を考える

棚の二段目に大切な容れ物を並べている

カラッとした、陽の光を浴びた鼻歌を口ずさみながら。

 

 

 

外では、突然の嵐が夜をゆっくりと押し

戻していた

そしてそれを古い岸辺まで送り届ける、

そして見渡す限り骨、、、肋骨と明かり、

そして草、左に傾いた草;

そして我々は濡れ 背中を丸める 生きているので、

そして俺と今一緒にいるこいつ

まるで小包みたいに俺の切望を手にする

それを彼女の白粉や飲み薬やなんかと一緒にバッグに滑らせる

薄手のストッキングを引き上げ、喋り、髪に手をやる:

雨よ、なんてこと、雨が降ってるわ!

そして戦場で岩は濡れてひんやりしている、

岩のはっきりとした石目が月火の様に光る、

そして彼女は愚痴をこぼす 小さな緑の帽子を被り

王冠みたいな

そして不格好なマネキンみたいに歩いて行く

雨の筋の中へ。

 

 

 

2013.1.10

 

明後日のライブラリセカンドアルバムレコーディングに控え、リラックスする為に遊びで英語の詩を翻訳してみました。チャールズ・ブコウスキの22,000 Dollars in 3 Months です。ふとした事で英詩を翻訳するとただ読むのとまた違った楽しさがある事に気付かせていただきました。小説だと長くて無理ですが詩だとちょうど良いです。語学力は自信無いので、誤訳しまくってるかもしれませんが、レクリエーションという事でご勘弁を、楽しい遊びです。よかったら以下楽しんでください。

それと、自分はブコウスキの熱烈なファンという訳でもなく、たまたま何年も枕元にthe rooming house madrigalsというこの人の詩集が放置されていたので、面白そうだから何でもよかった、という程度の動機です。だけど、やってみたら今までよりずっと読む事が面白かったです。時間もかかりますが。英語もですが、日本語力の無さもよくわかる、てか、日本語が少々恥ずかしいです、が、楽しいです。

 

 

3ヶ月で2,2000ドル ー C.ブコウスキ

 

何かが這う様に夜が訪れる

手摺の上で、出す

炎の舌を、そして俺は思い出す

膝まで糞尿にまみれた宣教師達が

青く美しい河を渡って逃れる

マシンガンが跳ね飛ばす

水面を そして 岸辺で酔っぱらったジョーンズが

言う 糞、糞、このインディアンめら

あいつらどこで火器を手に入れた?

そして俺はマリアに会いに行った

彼女は言った、奴ら攻撃して来るかしら、

奴ら河を越えて来るかしら?

死ぬのは恐い?彼女に訊くと、彼女は答えた

恐くない人がいて?

俺は薬のキャビネットから

大きなグラスになみなみと注いで、言った

俺たちはジョーンズの為に道を作って3ヶ月で2,2000ドル稼いだんだ

そして一寸だけ死ななきゃならん

これほどの短期間で済ませるにはね、、、彼女は訊いた、これって共産主義者が始めたんだと思う?そもそも共産主義者が始めたのかしら?

俺は答えた、神経症のクソ女はもう止めてくれ。

奴らの様な小国は両方からポケットに金が入って来る、だから蜂起するんだよ、、、彼女は女学生並みに世間知らずの美しいまなざしで俺を見つめ

部屋を出て行った、もう暗くなりかけていたが放っておいた、

もしある女をキープしたいのなら、彼女が出て行くべき時ってものをわきまえなきゃならない、

それにもしその女をキープしたくないのならどっちにしろ彼女は出て行くんだから、

どっちにしたって、いつもそれは放っておくプロセスなんだ、

だから俺はそこに座って一杯飲み干すともう一杯注いだ

そして考えた、一体誰が年増女に土木建築の教育を受けさせる事が

深いジャングルの夜にランプがゆっくりと揺れる様な場所に俺たちを連れて来る事になると想像し得たのか?

ジョーンズが彼女のブルーのウエストに手を回してやって来た

彼女も酔っぱらっている、俺は近づいて行って言った、

御主人と奥様で?その言葉に彼女はキレた、もし俺の睾丸を握り潰せたのなら、彼女はそうしていただろう。

俺はもう一杯なみなみと注いで

言った、お二人はお気づきじゃないかも知れないけど

俺たちはここから生きて帰れないよ。

 

俺たちは夜通し飲んだ。

本当にじっとしていると、聴こえた、

神の木々の間を水が降り注ぐのを、

そして俺たちが作った道を

動物達が横切るのを

そしてインディアンの奴ら、野蛮な十字架を背負った野蛮人の馬鹿ども。

いよいよ鏡で最後の姿を確認する

酔っぱらいの恋人達が抱擁しつつ

俺は外に出て麦藁を一本持ち上げた

小屋の屋根から

そしてライターで火を点けた、俺は

炎が這うのを眺めた、腹を空かせたネズミみたいに

細く茶色い柱を登る、それはゆっくりだったが

リアルだった、そしてリアルじゃなかった、丁度オペラみたいに、

そして俺はマシンガンの音のする方へ歩いて行った、

おんなじ河、月が俺を見ている

そして道上に小さな蛇を見つけた、ほんの小さな蛇、

ガラガラ蛇にも見えたが、そんな筈は無かった、

蛇は俺を見て怖がった、そいつがとぐろを巻く前に俺は首根っこを掴んで

押さえ付けた

小さな身体が腕に巻き付いた

まるで愛の指の様にそして全ての木々は目をひらいて見ていた

俺は口をそいつの口に付けた

すると愛は稲妻であり記憶であった、

死んだ共産主義者達、死んだ独裁者達、死んだ民主主義者達、死んだ神々そして

ジョーンズの小屋に残された物に戻る

彼の死んだ黒い腕は彼女の死んだブルーのウエストに巻き付いていた。

 

 

 

2013.1.5

 

「大きな窓」

 

もう何年もうんざりしている口癖に「死にたい」がある。ふと口をついて、無意識につぶやいているんだけど、正直な話、実際に死ぬ訳ではないし、それが何を意味するのかよくわからない。感情的な言葉だとは思うのだけど。

意味は分らなくても、それと対をなす様な一連の夢をよく見る。死、ではなくて天国の夢だ。

天国と言っても神様や仏様が出てくる訳ではない。それは天国ですらないのかもしれない。だけど振り返ってみると、確かに天国の様な感じがする。

その夢には必ず「大きな窓」が出てくる。そしてその窓の向こうには「素晴しい景色」が出てくる。

例えばある夢では、古い屈折した窓ガラスが天井まで延び、外には美しい秋の樹木が茂っている。そこは斜面に建てられた古い家の心地よい部屋で、自分はこの様な場所に昔から住みたかったと思い、全てが美しいと感じる。

またある夢では、窓は突然、公園の様な空間の「仕切」として地面から延びている。窓のこちら側は、ガラスによって外気から守られた「誰かの家」の中。床が途中から芝生になっていて鴨の様な鳥が歩いている。見ると芝生には外に出る道があり、美しい公園を通って海岸まで達する。

別の夢では窓ガラスは海の中から敷居の様に延びて、こちらとあちらに分けていたり。またある時は違う建物の窓だったりする。

そんな夢ばかり見続けている矢先、先日何気なく借りてきた映画に、気になるシーンを見つけた。それはもう何年も前、子供の頃見た楽しい冒険映画で、有名な監督の作品だったらしく、レンタルショップの特設コーナーに飾ってあった。すっかり忘れていたその映画を見ていると、やはり透明なガラスが地面から延びて世界を区切っている。だが映画の中で小人がそのガラスに岩を投げつけるとガラスは割れ、透明だと思っていた向こう側には、全く別の、夜の世界が広がっていた。

そのシーンを観て以来、今度夢の中で「大きな窓」が出てきたら自分も岩を投げつけて割ろうと思っている。しかし、何故だかそれ以来あまり「大きな窓」の夢を見ない。それとも、そんな事はしない方が良いのかもしれない。

 

 

2013.1.2

 

初夢:

 

夜勤のバイト先にいる。仮眠後の明け方で外は暗い。建物の前に車のバンパーが落ちている。きれいに外れたバンパーがいくつか転がっている。ふと目を上げると、黒いスーツ姿の男が10人位立っている。ネクタイはしていない、皆どことなくヤクザ風。その中に一人とても若い男がいる。自分は気付かないフリをして、通常業務を続けるが、彼等はドアの隙間から、中に入って行く。外のバンパーが心無しか増えている。

 

 

 

2013.1.1

 

あけましておめでとうございます。

先日、買ってから数年放ってあった「翻訳夜話」村上春樹 柴田元幸 著

を読みました。翻訳家として主にアメリカ文学を訳されているお二人のフォーラムが中心のなかなか楽しい本でした。その中でポール・オースター著「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」をお二人がそれぞれ翻訳し、その違いをディスカッションするというコーナーがあります。これは映画「スモーク」の中でハーヴェイ・カイテル演ずるオーギー/ウイリアム・ハート演ずるポール の間で最後に交わされる印象深いシーンとしてご覧になった方も多いと思います。

前置きが長くなりましたが僕が読んでいて「そうだ!」と思ったのは次の一文です:

As long as there's one person to believe it, there is no story that can't be true.

「誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ。」ー柴田訳

「信じる相手が一人でもいるかぎり、どんな話だって真実になる。」ー村上訳

 

僕自身普段つくづく「聴いてくれる人がいない限り物語は存在できない」と思っているので「オースターはやっぱりいい事言うなぁ」と我が意を得たり、と思いました。

少し飛躍するのかもしれませんがこれは美という事にも当てはまる様な気がします。美というと美醜とか、美しいものは美しくて醜い物は醜い、と思われがちです。美しい物を集めて、醜い物は排除したい、という考え方も世の中にはあると思います。だけど、一人でも相手の話を聴き、信じる(鵜呑みでは無く真剣に聴く)人がいるならば、そこには美しい物が新たに生まれる可能性がある、と思うのです。この話の肝も、事実であったかどうか、よりも真実としてオーギーの話が読者を惹き付ける力、にあります。今あるもの、今まであった美しい物、が美しさの全てではあまりにもつまらないと思いますし、先日選挙でたまたま見た「美しい日本」のような政治家の押しつける美意識の真逆だと思います。

 

 

2012.12.31

 

元旦と言えば初夢ですが、これはもう何年も前から度々見ている「非初夢」です:

 

自分は沼地にいて夢中で「何かすごいもの」を作っている。時刻は夜だったり、夕暮れだったり、見る時によって違う。沼地は子供の頃、足がはまって身動きが取れなくなった事のある、実家の近くに実在した場所。大抵の場合「すごいもの」はロープや滑車などを工夫して作った大掛かりな仕掛けで、自分は、これが完成したらものすごい事になる、と確信している。

 

例えばそれは月の満ち欠けで沼の水位が変化すると自動的に浮かべてある小舟がロープに引っ張られて右から左に1m動くだけだったりする。

 

そこで大抵自分は「はっ」と我に返り、自分が夢中で作ってきた「すごいもの」がガラクタ同然の狂気の沙汰の、全くの無意味なナンセンスである事に気付き、あまりの恥ずかしさにその「すごいもの」が月明かりの中、誰かに見られるのではないか?と不安になる。

 

(しかし最近ふと、その「ガラクタ」が、見ようによっては、美しくもある事に、気付き始めた。)

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